イスラエルの総選挙    

やっぱり総選挙ですか・・・という結果になったのが26日。それからというもの、連日、選挙がいつになるのか?と、政治家達が喧々諤々と言い合っていたが、やっと日取りが決まったようだ。2月10日、トゥ・ビ・シュバット(樹木の新年)の直後。冬は雨が降るからダメだとか、宗教祭日の直後は、疲れているからダメだとか、みんなが言いたいこと言っていたが、どうせ、投票日当日は、国民の休日になるんだから、いつだって良いじゃないか・・・と、投票権のない私は思っていた。
前首相のシャロンが新党カディーマを作り、その直後に急病で倒れ、シャロン魂のカディーマ党が選挙で勝利してから2年。確かに、それからいろいろと状況は変わり、2年前の選挙で敗北したリクード党のネタニヤフ(ビビ)は、何もせずとも力をつけ、再び返り咲きの絶好の機会を迎えたわけだ。カディーマ党党首のツィピー・リブニの組閣の交渉失敗は、正直残念な結果であるけれど、このままリブニーが連立政権を続けていくには、不安要素がありすぎなので、ここで、リブニー自身が自分の株を上げるためにも、この解散総選挙への決断は、いたしかたなしと言ったところだろう。カディーマ党の党首選挙で負けたシャウル・モファズは、党首選挙後、政治家活動を休止するなどと言っていたが、それも撤回し、カディーマ党No2の座を、リブニーに約束され、総選挙へと党の体制を固めてきている。
世論で一番人気のリクード党のビビ、名前を売ったカディーマ党のリブニー、労働党のバラク。その他、総選挙に向けて面白い人物もいろいろと登場中。来週にはアメリカに新大統領が誕生する。はたして、イスラエルの新首相は誰になるのか?面白いイスラエルの選挙は、今始まったばかり。乞うご期待。

サンブッサク(Sambūsak)

先日、「イスラエルで一番おいしいサンブッサク」を食べてきました。サンブッサクとは、アラブの料理で、肉やチーズをパン生地で包んで、焼くか揚げるかする半月型の食べ物です。そのサンブッサクが一番おいしいというお店がここです。
   <Google map>
イスラエル北のアラブの町 Hurfesh (ホルフェシュ)にある、「サンブッサク・ハアラズィーム סמבוסק הארזים」。ここでは揚げるのでなく、窯で焼いていました。
     
行列のできる店なので、開店10時ちょうどに到着し、ピザ風サンブッサクを注文。作るところを見ていると本当にピザを作っているような工程で窯で焼き、焼き上がったあたりで、丸型だったものを半月型にして出来上がり。
    
外はカリカリ、中はチーズとろ~りのサンブッサクの出来上がりです。油で揚げるものとは違い重くなくて、2つくらいはいけそうでした・・・が、女の子なので一つで我慢しておきました。ピザ風のほか、肉をつめたものや、ラバネ(ヤギのサワークリームチーズ)などがあり、ラバネはオススメの一品です。レゲヴは、期待していたものよりもフツーだったために、がっかりでしたが、私は最高に幸せになるくらい、大満足でした(安上がりな女です)。お手軽なイスラエルのファーストフード、ベジタリアンにはもってこいの一品です。

イスラエル音楽の遍歴 (7) : キブツ出身の歌手

キブツは、イスラエル建国から現在にいたるまで、政治家や軍人や知識人などの、多くの重要な人物を輩出してきたが、音楽においても重要な役割を果たしてきた。Naomi Shemer もキブツ出身の音楽家であり、合唱団Givatron もキブツである。キブツの自然、環境、個性、交友などが、音楽家を育てるのだろうか・・・と思いきや、単に暇で、他にすることがないから、という意見が返ってきた(一理あるが、もちろん才能あってのことである)。キブツ出身の歌手のなかで、特に傑出している人物を紹介したい。
 
Meir Ariel (1942-1999 מאיר אריאל‎)
“היכנסי כבר לאוטו וניסע” ( Hikansi Kuvar LeAuto VeNisa) 
-”Come to the car and we’ll drive away”
Meir Ariel(メイル・アリエル)はキブツ Mishmarot 出身。シンガーソングライターであり、「詩の人」として有名で、彼のヘブライ語の歌詞は、多くのイスラエルの詩人達にも影響を与えた。キブツでは、トラクターに乗って畑を耕し、いつも歌詞のことばかり考えていたので、畑をめちゃくちゃにしたという逸話もある。パラシュート部隊として6日間戦争をエルサレムで戦い、その後、しばらくの間渡米していたが帰国し、本格的にフォークロックの創作活動をはじめた。彼はポピュラーな歌手ではく、音楽家の認める音楽家、知る人ぞ知る音楽家として、カリスマ性を発揮したが、商業的には成功しなかった。1999年に若くして他界してしまったが、今でも人々に愛され続けている、歌手である。

イスラエル人の食卓風景

只今、イスラエルはスコット(仮庵の祭り)。ユダヤ人がエジプトから脱出し、シナイ半島をさまよっていたときのように、簡単な庵を立て、空の星が見えるくらいに、やしの葉で屋根を作ってその中で寝るという、ちょっと楽しい祭日。今年のイスラエルは、新年からの祭日が毎週あり、休日続きでうれしい限りだが、その祭日も、スコットの締めくくりを迎えて終了となり、その後、大人にはおよそ半年間ほど祭日はなしとなる。
この祭日続きのあいだ、レゲヴの家族達と食事を共にするのだが、毎回繰り広げられる家族口論に、ただただ驚くばかりだった。もちろんこういった光景はいつものことなのだが、ずいぶんと食卓の風景が違うものだと、改めてイスラエル人の議論好きを確認してしまった。日本では、食卓に政治と経済の話しはタブーの感があり、みんなが会話に入れるような当たり障りのない話題(芸能関係など)などになることがおおいが、イスラエルの食卓は、戦争・政治・経済などの話題で議論が白熱し、「オイオイ、大丈夫か?」と思ってしまうほど、声を張り上げて議論が始まることがある。
先日のヨム・キプールでのアラブ人とユダヤ人の騒動についても、当然食卓の話題となり、90歳のおじいちゃんと、レゲブの一番年下の24歳の弟との口論が始まった。どちらも一歩も引かないで、声を荒げて口論する。日本ではめったに見れない風景だ。ま昨日は、スコットでのスカー(仮庵)は宗教行事なのか、それともユダヤ人の伝統なのか、そして、メドゥーザ(ユダヤ人の家の入り口にある飾り)の会話から発展した宗教論・・・などなど、議論する話題には事欠かない。知らない人が見ると、家族同士が声を荒げて怒っているように見えるが、何のことはない、解決することのない議論はなんとなく収束し、何事もなかったかのように別の話題になっているのある。
もちろん、そんな時の私は、ただただ沈黙を守るのみである。双方の言い分を聞き、どちらも正しいようで、どちらも正しくないことがほとんどだからである。ユダヤ人でもなく、文化も環境も違う中で生まれ育った私には、やはり、彼らの白熱する議論には参加できない。また、議論するという教育もうけてこなかった。それぞれがそれぞれの意見を持つことは当然なのだが、日本人は、それを議論してまで自分の意見を通そうとはしない。人の意見を聞くということと、意見をしないということ、そして調和。それが日本の社会だ。少なくとも、私はそう育ってきた。だから、90歳のおじいちゃんやお父さんと、白熱した議論を交わすレゲヴやレゲヴの姉弟達を見ていると、「ユダヤ人が3人集まれば、4つの意見がでる」という、ユダヤ人が議論好きな民族であることを、心底感じるのである。昔は、よくレゲヴのお父さんやお母さんに、「keikoは黙ってばかりいて、何も話しをしてくれない」と言われたが、今では、日本の「沈黙も言葉」であることをよく理解してくれ、また私も、黙ってばかりいる日本人ではなくなっている。国際文化の交流は、こんな小さなところでも行われているのだ。
日本の食卓と、イスラエルの食卓の違いには、民族の文化の違いが顕著に見れて、なかなか面白い・・・と、祭日続きのイスラエルの食卓の風景を眺めながら、レゲヴと「日本人とイスラエル人」論を交わす、休日となった。
← 最後におひとつ’ポチッ’とどうぞ

ヨム・キプール騒動

10月8日の日没から始まった、ユダヤ教で最も重要な祭日ヨム・キプール(贖罪の日)。ヨム・キプールの始まりと同時に次の日没までの24時間の断食が始まる。新年が始まると、神は1人1人の一年の行いを調査し、10日目のヨム・キプールの日に神の審判が下るので、人々は神の審判が下るまでのあいだ、神に慈悲を請うため、食事を取らずに24時間祈り続ける・・・・・というユダヤ教でもっとも神聖な日である。この日は、空港も乗り物も店も何もかも、閉まってしまう。しかし、イスラエルにいる国民全てが、敬虔なユダヤ教徒ではない昨今は、アラブ人だけでなく、アンチ宗教のユダヤ人など、車に乗って普通の生活を送っている。そこで、問題が起きてくる。ある狂信的なユダヤ教徒たちにとって、この神聖かつ重要な日に、祈りもしないで、車に乗っているとは言語道断、よって制裁してくれる・・・という意気込みで、子供達が走っている車に向かって、石を投げるのである。この行為が近年ヨム・キプールになると、あちらこちらで見られるようになった。
アッコ(Akko)は北の港町で、アラブの旧市街が残り、バハーイ教の聖地であり、古くからアラブ人とユダヤ人の混合の町である。ユダヤ人にラマダンが無関係と同じく、アラブ人にとってもヨム・キプールは無関係。車に乗ろうと、騒ごうと、知ったことではない。しかし、狂信的なユダヤ人には、アラブ人の行動は目障りで蟲に触るので、嫌がらせで石を投げるようになる。この数年は小さないざこざが毎年ヨム・キプールにはあったのだが、今年は双方の怒りが爆発してしまったようだ。どちらが先というのは知らないが、アラブ人もわざとユダヤ人を逆撫でするような行動をとったらしく、怒った狂信的なユダヤ人たちとの乱闘が始まってしまい、警察が介入することとなった。ヨム・キプールの一日は、テレビもラジオも止まるので、ヨム・キプールが終わった夜のニュースで、私達は始めてアッコで乱闘騒ぎがあったことを知った。沈静化したが、もちろん双方に遺恨が残っているのは明らかで、いつまた爆発するかわからない緊張状態といえるだろう。
アッコだけでなく、私の住む地域でも、子供達が走っている車に石を投げているそうだ。救急車にも石をなげるという話を聞くと、子供の遊びの域を出ている。問題は警察が石を投げる者を取り締まることなく、野放しにしておくことと、これらの件に対して国も政治も触れないということである。いわゆる、タブーなのである。ユダヤ人のユダヤ教の国と、看板をうっているだけに、この最も重要で神聖なヨム・キプールを、法律や規制で汚したくないのである。アラブ人も一緒に生活しているイスラエルに、ヨム・キプールに車に乗ってはいけないという法律はない。しかし、石を投げたものを取り締まる法律もない。石を投げているのは名目上、神聖なる神の日のためなのである。そんなもの達を罰する規則を作るのは、タブーなのである。
ここに、私はこの国の最大かつ、解決できないジレンマを見る。政治と宗教を切り離すことなく、ユダヤ教にのっとった法律と、近代民主国家としての法律が混在し、アラブ人とユダヤ人の共存が混在し、狂信的なユダヤ人とアンチ宗教のユダヤ人が混在する。宗教と国を分離しないかぎり、ヨム・キプールの騒動は治まることはなく、いつかはユダヤ人同士の争いにも発展するであろう。国家のアイデンティティーが「ユダヤ教」であることによって、建国したイスラエルは、ソ連の崩壊によるロシア人の大量移入、ユダヤ人以外の民族の同化、そして、新世代の若者達の無宗教化などによって、国家のアイデンティティが崩れようとしているように見える。政教分離がこの国で実現することは99%、夢に近いお話だと思う。しかし、そこにイスラエルという国が存在することも、和平への鍵もあるように思えるのである。
← 最後におひとつ’ポチッ’とどうぞ

イスラエル人から見た日本(1)

イスラエルのサイト「Ynet」で、時々掲載される「Yapan Ze Kan(ニッポンそれはここ)」という、日本に住んで知るイスラエル人が、いろいろな日本について記載している、なかなか面白い記事がある。この記事を書いているのが、Dana Peer(ダナ・ペール)、彼女は日本に滞在して半年くらいのようだ。私の乏しいヘブライ語力で、彼女の記事を完璧に、正確に読むには多大の時間を要するが、それでも、いったい何が書かれているのかと、興味があるので読んでみると、日本人の私の視点とイスラエル人の彼女の視点の違いが面白いので、これからも自分自身のヘブライ語勉強もかね、紹介したいと思う。
今回の記事(05.10.08)は、日本のスーパーマーケットについて。とにかく彼女が驚くのは、数え切れないほどある異国情緒あふれる、エキゾチックな商品の多さ。それも、同じ商品(のはず)なのに、棚いっぱいに広がる無数の種類。なおかつ全部日本語表示。確かに、うなずける・・・私がイスラエルに来た当時、選ぶ余地なしのイスラエルのスーパーの商品の乏しさに驚いたものだ。彼女いわく、「海草」だけでも幾種類もの「海草」があり、用途によって全て違う。昆布・寿司のり・味付けのり・ひじき・わかめetc。魚も同じで、小魚の乾燥したもの、甘いもの、ピーナッツと一緒のもの、おがくずのような鰹節など、そして、極めつけは、ドックフードのような袋に入って売られているお米。これらは彼女にとって、非常に興味深く感じられたようだ。そのほか、お餅のことや、おにぎりのことを日本のサンドイッチと言って紹介している。彼女が日本へついたばかりの頃、日本人は毒の魚を食べると聞いていた彼女は、スーパーで魚を買うのが非常に怖かったらしい。もちろんそれはふぐのことで、ふぐをさばき、売るには許可が必要ということをしり、安心したようだが、これも、外国人のよくある誤解のひとつ。
石を投げれば、コンビニにあたるほど、コンビニがあり、非常に便利。そして東京は超値段が高い例として、きゅうりやりんごが1個120円以上し、15000円のメロンが売られているといっている。メロンのことは有名な話で、私もよく聞かれることがある。確かに、メロン1個15000円は、馬鹿げたことだなと思うが、食べた事がないので、ノーコメント。果物や野菜に関しては、新鮮でおいしくて安い、イスラエルのものを食べていると、日本のきゅうり一本120円が、信じられない現象に思えてくるのは確かだ。イスラエルでは全て1Kgの値段で売っているので、120円も出せば、袋いっぱいのきゅうりが買える。
最後に、彼女が生理用品を買ったとき、店員が生理用品を不透明の袋にいれ、頑丈に封をすることに、違和感を感じ、彼女いわく、それは、日本の女性はとてもは謙虚で恥ずかしがりやだから、生理用品を隠したがると推測している。これを読んで、面白いなと思った。確かに私も日本にいたときは、生理用品を購入するときに男性のキャッシャーだと嫌だな・・・とか思っていた気がする。もちろん、そんな考えは、とうの昔に消え去ったが、「エチケット」という概念が、非常に浸透している日本ならではのサービスだろう。日本のスーパーマーケット、そして、キャッシャーは、彼女の目からみても、最高のサービスと品ぞろえであるが、日本語表示のみというのが、やはり外国の人泣かせであろう。
一つどうしても彼女の記事に賛同できなかったのは、彼女がいう唯一の不満である。彼女の不満は、お会計をする際に、30分も話を聞いているような気分になるほど、長く会計時間がかかる、というのだ。これは絶対に賛同できない。なぜなら、30分もかけて、ダラダラと会計をしているのは、イスラエルのキャッシャーである。彼らはどんなに長打の列ができていても、全く気にせず、お会計でセールをはじめるのである。イスラエル人もそれを知っていて、10品もあるようなセール商品を1個1個確認していくのだから、後ろで待っているものにはたまったものではない。そんな、イスラエルの会計を皮肉って彼女は言っているのだろうが、日本語のわからない彼女にとっては、おつりを数えて渡す丁寧なキャッシャーのサービスも、長く感じるのかも知れない。
ともあれ、特別新しいことを記事にしているわけではなく、お決まりの外国の人から見る日本のスーパーマーケットであったが、過剰サービスといわれるのか、質の高いサービスといわれるのか、ビミョウなところである。
← 最後におひとつ’ポチッ’とどうぞ