私の住むキブツ・ハニタには、2007年にスーダンから亡命してきた家族が住んでいるのだが、今、その家族をめぐって問題が持ち上がっている。
2007年、スーダンで起こっている紛争を逃れるため、イスラエルへ700人あまりのスーダン人が亡命してきた。そのほとんどが南のエイラットにあるキブツに一時的に避難することになり、キブツ・ハニタも二つの家族の受け入れを決めて、彼らに衣食住の全てを与えて世話をしてきた。半年ほどして二つのうちの一つの家族は、エイラットへと引っ越していき、一家族だけがキブツに残って生活することになった。彼らは、ちょうど私の住む一軒となりに住み始め、双子が生まれ、つい最近もう1人子供が生まれ、旦那さんはバナナ畑で仕事をし、奥さんも食堂で仕事を手伝い、子供たちもキブツの保育園に通い、幸せそうに暮らす姿を見ることができた。
そしてつい先日、ニュースに隣人のスーダン人家族について書かれてあり、その時はじめて彼らが問題に直面していることを知ったのである。キブツ・ハニタはスーダンからの家族を、一年間ということで受け入れたのだが、その後もスーダンの情勢は好転せず、もう一年延長して現在まで世話をしてきた。そして2年たった今、キブツは彼らの世話を止め、すぐ近くの Shlomi (シュロミ)という町で家を借りて生活するように促したのだが、Shlomi の町長が彼らの移住を拒否し、水道を通さないなどの嫌がらせをしようとしているらしいのだ。町長の理由としては、以前、レバノン南部からの亡命者が同じように問題を起こして、その尻拭いをさせられたとことを例にあげ、「スーダン人にかかわらず、他国からの亡命者は最終的にお金を払わず、問題を起こす。私達の町は、キブツのゴミ箱ではないんだ」と語っている。もちろん、スーダン人の家族は、バナナ畑で仕事もして給料ももらっており、家賃も何もかもきちんと払うと言っているのだが、聞く耳を持たないらしい。
私達キブツ・ハニタの住民はこの一件をニュースによって知り、「なぜキブツは、彼らをキブツから追い出そうとするのかわからない」と口をそろえて今回の件に異論を唱え、彼らがキブツに留まるようにキブツに働きかけている。なぜ、キブツが彼らを追い出すような決定をしたのか、いまでもはっきりとわからないのだが、どうやら、キブツに住みたい順番待ちの人々が多く、その人たちのための住居が不足しているのが原因の一つのようであるが、だからといって、スーダン人の家族を追い出すというのも、解せない話しであるが。
今のところ、スーダン人の家族はキブツで生活をし、バナナ畑での仕事を続けている。今後どうなるのかは、追って記載したい。
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スーダンからの亡命家族
キブツの夏休み
7月からイスラエルは夏休み。9月までの2ヶ月間、イスラエルの子供達には長く楽しい夏休みである。日本のように、大量の宿題や課題が出されることもなく、とにかくのんびりと楽しんで過ごすのが、ここの夏休みの風景。ほとんどの子供達が、「ケイタナ」と呼ばれるオリエンテーションに参加したり、海へ行ったり、プールへ行ったりの日々である。暇をもてあます子供を、職場へつれてくるという風景もよく見られる。親にとっては、多少頭の痛い夏休み・・・だろうか。
そんなイスラエルの夏休みは、キブツの中では少し違って見える。たっぷりの自然があり、プールも終日開放されており、子供達のための小さな動物園などもあるキブツは、毎日、子供の叫び声や遊ぶ声が、あちらこちらで響いている。芝生で仲間とサッカーをしたり、テニスをしたり、プールでジャンプ大会をしたり、時にはお楽しみ会のような楽しいイベントがあり、深夜の探索をしたり・・・・・・仲間といつも楽しめるのが、キブツの子供達である。親にとっても、目の届くキブツの中で、子供が思いっきり遊べることは、何よりも安心感と、教育的利点があると思う。また年齢の達している子供は、キブツの仕事を手伝ってお小遣いも稼げる。小さな動物園では、子供達がヤギや羊・アヒルやガチョウ・ロバやぶたなどの世話をし、動物の世話をする責任感を養うことや博愛の心など、精神教育の役割も果たしている。
9月からは新年度がはじまり、一回りもふた周りも大きく成長した子供達を見ることが出来る。私は、毎年子供達の夏休み後の変化に、驚かされる。ある子はとたんに身長が伸びていたり、またある子はやせてきれいになっていたり・・・たくさんの経験と成長を見せるのか、どこの国でも夏休みの醍醐味なのだろう。
私にとっての夏休みの記憶は、早朝ラジオ体操と、町内プール、そして「自由研究」の課題である。それと忘れてならないのが、盆踊りの練習。なんとも、イスラエルの夏休みとは、大違いである。
キブツ・ハニタ 70周年目の誕生日
イスラエル建国よりも先に、キブツ・ハニタは建設され、先日70周年目の誕生日を迎えた。
たかが70周年・・と思えるが、それは実に重みのある70年なのである。
レゲブのおじいさんとおばあさんは、建設に貢献したまさに生き証人。
彼らの汗と血と忍耐がなければ、レゲブはもちろん、イスラエルすらなかったかもしれない。
当時、イスラエル建国に先駆けて、多くのキブツが国境付近に建設された。
違法ではなく、合法的に土地を購入し、入植していったのである。
しかし、周辺にはアラブの村が点在し、アラブ人たちにとっては寝耳に水、
いきなり訳のわからない連中が入り込んでくるのだか、当然争いとなった。
キブツ・ハニタも例外ではなく、レバノンとアラブの村に囲まれているような場所。
おじいさん達は塔をたて、その周辺にテント小屋を立て、見張りを立てての生活が始まる。
アラブ人たちの夜の襲撃は日常茶飯事だった。
それでも、おじいさんたちは、わずかな食料と、有り余るほどの希望と理念を持って、
キブツ建設に尽くしてきたのである。
イスラエル建国と同時に戦争が始まり、戦争をしながらの生活となるが、
キブツの人々は勇敢に戦い、建国に命をかけてきた。
今でも、多くの戦争でどれほどキブツの人々が勇敢に戦ったかということが話される。
多くの困難と試練を超えて、今、キブツ・ハニタは第4世代まで育っている。
近年のキブツ改革により、キブツ制度は大きく変わり、現在は高級避暑地となりつつある。
多くの人々が、キブツに家を購入し、自然の中でのカントリーライフを望むようになった。
70周年のお祝いは一年を通してさまざまなイベントとして、行われる予定だが、
まずは、超猛暑となったこの日、かつて道路も車もなかったころ、
おじいさん達が、歩いてキブツまで通ったという、現在は自然公園になっているコースを、
さまざまな逸話(交通手段はロバ)を交えながらのトレッキング。
その後、キブツタワーで子供達のためのオリエンテーションが各種行われ、
歌や踊りを交えてのお祝いとなった。
タマもお祝いに駆けつけたが、あまりの猛暑(36度)に「早く、帰りたい・・・」
キブツ建設のみならず、イスラエル建国に貢献した第一世代は、現在80歳を超える。
おじいさんはいつも嬉しそうに、孫達レゲブにキブツの建設当時のことを語る。
つらかったこと、何もなかったこと、キブツから見えるすべての木を植えたこと・・・
キブツの改革による、人と人との交流の欠如に対する悲しみ、欲と金の世界への変貌・・・
改革は現在のキブツにとって、避けられないものだが、
キブツは今、新しいキブツへと変革している。
一度キブツを捨てた若者達(レゲブの世代)が、彼らの子供達をキブツで育てたい・・といって、
多く都会から戻ってきている。
そして、キブツとは縁のない人々も、キブツの環境のよさに惚れて移住してきている。
私も、キブツに惚れて、住み着いたものの一人だ。
そして、このキブツ・ハニタは、私の第2のふるさと。
このハニタなくして、私のイスラエルでの生活は考えられない。
キブツの自然も、人々も、犬も猫も、花々も、皆、私の心の支えだ。
キブツ・ハニタとの出会いが、私の人生を変えたのだ。
70歳、おめでとう、ハニタ。
キブツの改革
キブツの状況が着実に変化してきている。
多くのキブツがサラリー制を導入し始め、今後の生き残りを模索し始めた。
ボランティア制度も廃止されるだろう。
実際、現在の状況を考えるとボランティア不足で、ボランティアが来ることは見込めない。
一人二人のボランティアを受け入れるくらいなら、
いっそ廃止してしまった方が都合が良い。
私が以前いたキブツも、最後のボランティアがいなくなったと同時に廃止となった。
サラリー制の導入は、キブツの体質を大きく変えることである。
人々の意識を変えることである。
しかし、今のままの体制を維持していては、
キブツは生き残っていけないのは明らかなのだ。
生活は豊かになり、人々は都会と同じレベルの生活を求めるようになる。
キブツの建設をした初期の人々、現在80歳ぐらいの人々にとって、
この改革はとても悲しく寂しく、しかし受け入れなければならないことだ。
彼らは何もない荒地から、敵と戦いながらキブツの建設に生涯を尽くしてきた。
全ての物が共有財産であり、人々は皆家族だった。
しかし、社会は急速に変化している。
その息子たちはキブツを維持しながらも、世の中の流れに逆らうことはできない。
そして、孫たちはキブツの生活を捨てて都会の生活へと消えていく。
私のいるキブツも、最近投票が行われ、変化を求める側の勝利となった。
変革したからと言って全てがうまくいくわけではない。
多くの問題が起こるだろうし、何がどうなるかはやって見ないことにはわからない。
キブツの平均年齢は45歳くらいだったと思う。
若者がキブツに残るようなシステムと魅力が必要なのは確かである。
私がこのキブツの最後のボランティアになるかも知れないと思うと、気分は複雑である。
