理想と現実

毎週金曜日、シャバット(安息日)の夕方には、レゲヴの親族が91歳のおじいちゃん宅で団欒する風景が見られる。孫家族・ひ孫まで集まると、多い時には30人近い人が一つの部屋に座り、しゃべり、お茶を飲み、そのときどきの話題に会話が弾み、騒音にも近いにぎやかさになる。日本では、団欒の席での政治話しはご法度の気配があるが、イスラエルでは政治・戦争抜きの会話を聞いたことがないほど、人が集まれば議論が始まりだす。
先日は、オバマ大統領のハエ殺しの話題から発展して、ガザの話しになった。レゲヴの叔父さんが「ガザへの侵攻は、完全なるイスラエルの失策だ。民間人を500人以上殺して、いったい何が変わったのか?事態は一向に好転していないし、状況に何ら変わりはないではないか!」と言えば、レゲヴの叔母さんは「あれは必然だった。今こうして南部にロケットが飛んでこないじゃない。話し合いというけれど、ガザには話し合いをすべき相手はいないわ。ハマスは人間ではないもの」と声を荒げ、レゲヴの24歳の弟は「世界の歴史を見てみろよ、勝者の国がどういう戦争をしてきたか。皆殺しにしなければ、勝てないんだよ」と、語った。
レゲヴの家族たちは全員が左派であり、イツハク・ラビンの時代にはおばあちゃんと叔父さんを筆頭に、ラビン支援の要となって和平への運動をした人々だと聞いている。今でも、ラビンが暗殺された1995年11月4日のステッカーがおじいちゃんの家には貼ってある。そんな家族の中から、「ハマスは人間じゃない」「皆殺ししなければならない」などという言葉を聞くことは、非常に悲しいことであった。なおかつ、叔母さんは小学校の教師であり、子供たちを導く立場の人にも関わらずである。レゲヴの弟はちょうど多感な時を、ラビン暗殺、第2次インティファーダ、自爆テロの恐怖の中で成長し、兵役を終えた若者である。部屋の中で極右的な発言をする二人に対して、反論していたのは叔父さんだけで、他の人はただ言葉をなくしてしまっていた。それは、本気としては受け取りがたい発言なので聞き流すということでもあったが、これが、今のイスラエルで主流となりつつある意見であり、左派であったレゲヴの家族の中でさえも露見してきているということに、私は今後のイスラエルを考えられずにはいられなかった。
先日、ネタニヤフ首相が演説を行い、ネタニヤフの政治家人生で初めて2国家共存の用意があるということを正式に発表した。それがオバマ大統領からの圧力にたいして、決して2国家共存に賛成していなかったネタニヤフが譲歩できるギリギリのラインであり、入植地問題に対しては、はっきりとした発言を避けたにも関わらず、リーベルマン外相は「われらが土地に入植して何が悪い」と、クリントン国務長官にメンツを切ってしまった。そんな、わが道しか行かないリーベルマン外相が、本音しか言わない政治家としてウケがいいのも、皮肉なものである。
レゲヴの家族の小さな集団においても見る事ができるように、オスロー合意からの17年の間にイスラエルの国民の意識は大きく変わってきている。そして、民族と宗教の混沌であるイスラエルは、ますます複雑さを増してきている。日本にいた時に購入した、岩波新書 「イスラエル」臼杵 陽 著 は、現在のイスラエルの状況を、政党の移り変わりと、民族の移民、宗教党の発展、多文化主義とシオニズムによるイスラエルの抱えるジレンマなど、比較的わかりやすく、今までにない角度からイスラエル問題が捉えられていて面白い。イスラエルという国は、ホロコーストを語ることなくしては語れないと思っていたが、ホロコーストを経験したのは欧米系のアシュケナジーだけで、建国後に移民してきたアラブ諸国系(ミズラヒーム)や北アフリカ系(スファラディーム)の移民は、ホロコーストを経験していない民族たちであり、イスラエル建国によるアラブ諸国との戦争によって、移民せざるえなかった。という盲点を著書で再認識させられ、改めて、複雑な民族国家イスラエルの現状を考えさせられることになった。
 
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「おくりびと」 イスラエルで上映

「おくりびと」がオスカーを受賞してからというもの、イスラエルで上映されることを心待ちにしていましたが、まさか、父を見送って後に見ることになるとは思ってもいませんでした。
イスラエルに到着早々、レゲヴと一緒に見に行き、ただ涙ばかりでした。父を納棺した際には形式的ですが同じようなことを実際にし、父を死出の装束に変えて送り出したことがフラッシュバックされて、泣き声を抑えるのに必死でした。比較的年配の人で埋まっていた小さな場内からも、たくさんのすすり声が聞こえ、私の泣き声も気にならぬほどでした。
文化の全く違うそれも「死」という重いテーマが、イスラエルにどのように受け入れられるのか心配でしたが、非常に好感的に受け入れられたようです。それがAri Folmanの「戦場でワルツを」から、イスラエル初のオスカー受賞の期待を奪い取ったという看板つきで、奪い取るだけの見る価値のある作品として紹介されています。
昨年亡くなったレゲヴの祖母の葬儀や、日本での父の葬儀から感じることは、「死」というもが己の民族と宗教感を、色濃く反映するということでした。レゲヴ曰く「おくりびと」でみられるような死者への装飾は、どうも変だといいます。ユダヤ教では「ちりにかえる」という意味もあり質素な白い布で包み、「聖書と善き行いのみをもっていく」と考えられています。父の葬儀では、父の好きだったものや思い出の品などを一緒にいれたり、死出の装束にも三途の川の渡り賃を入れる袋があったりしました。
レゲヴの祖母の葬儀では、小さな子供達を死んだ祖母に会わすことも、葬儀に参列させることもなかったので、不思議に思い聞いてみると、子供たちに「死」を体感させたくないということでした。この考えに納得できない私は、本当に日本人なんだなと考えさせられたものです。父の葬儀では、家に帰ってきた動かない父をみて、6歳の甥っ子が「じじちゃん、死んじゃったね」と、神妙な顔つきでじじちゃんに手を合わせていました。13歳の甥っ子は、何度もじじちゃんの顔を眺めて、肩を震わせていました。私は二人の甥っ子たちをみて、父も喜んでいるだろうなと思ったのです。
日本にはお彼岸やお盆、仏壇など、先祖の魂を弔う習慣があります。輪廻転生や幽霊、魂なども日本人にはなじみの深いものです。そういった民族風習は全て宗教感から発生し、私達の「死」に対する考え方にもなります。「おくりびと」をみて、私達日本人の持っている「死者」へのいたわりの気持ちは、日本人という民族を象徴するものであると感じます。そして、映画の成功によって、全く異文化の、宗教も違う国々でも受け入れられているということに、ただ感動するばかりです。
民族・宗教は違えども、「死者」を尊ぶ気持ちは万国共通であることを、改めて感じさせてくれる「おくりびと」に、感謝の気持ちです。
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イスラエル人の食卓風景

只今、イスラエルはスコット(仮庵の祭り)。ユダヤ人がエジプトから脱出し、シナイ半島をさまよっていたときのように、簡単な庵を立て、空の星が見えるくらいに、やしの葉で屋根を作ってその中で寝るという、ちょっと楽しい祭日。今年のイスラエルは、新年からの祭日が毎週あり、休日続きでうれしい限りだが、その祭日も、スコットの締めくくりを迎えて終了となり、その後、大人にはおよそ半年間ほど祭日はなしとなる。
この祭日続きのあいだ、レゲヴの家族達と食事を共にするのだが、毎回繰り広げられる家族口論に、ただただ驚くばかりだった。もちろんこういった光景はいつものことなのだが、ずいぶんと食卓の風景が違うものだと、改めてイスラエル人の議論好きを確認してしまった。日本では、食卓に政治と経済の話しはタブーの感があり、みんなが会話に入れるような当たり障りのない話題(芸能関係など)などになることがおおいが、イスラエルの食卓は、戦争・政治・経済などの話題で議論が白熱し、「オイオイ、大丈夫か?」と思ってしまうほど、声を張り上げて議論が始まることがある。
先日のヨム・キプールでのアラブ人とユダヤ人の騒動についても、当然食卓の話題となり、90歳のおじいちゃんと、レゲブの一番年下の24歳の弟との口論が始まった。どちらも一歩も引かないで、声を荒げて口論する。日本ではめったに見れない風景だ。ま昨日は、スコットでのスカー(仮庵)は宗教行事なのか、それともユダヤ人の伝統なのか、そして、メドゥーザ(ユダヤ人の家の入り口にある飾り)の会話から発展した宗教論・・・などなど、議論する話題には事欠かない。知らない人が見ると、家族同士が声を荒げて怒っているように見えるが、何のことはない、解決することのない議論はなんとなく収束し、何事もなかったかのように別の話題になっているのある。
もちろん、そんな時の私は、ただただ沈黙を守るのみである。双方の言い分を聞き、どちらも正しいようで、どちらも正しくないことがほとんどだからである。ユダヤ人でもなく、文化も環境も違う中で生まれ育った私には、やはり、彼らの白熱する議論には参加できない。また、議論するという教育もうけてこなかった。それぞれがそれぞれの意見を持つことは当然なのだが、日本人は、それを議論してまで自分の意見を通そうとはしない。人の意見を聞くということと、意見をしないということ、そして調和。それが日本の社会だ。少なくとも、私はそう育ってきた。だから、90歳のおじいちゃんやお父さんと、白熱した議論を交わすレゲヴやレゲヴの姉弟達を見ていると、「ユダヤ人が3人集まれば、4つの意見がでる」という、ユダヤ人が議論好きな民族であることを、心底感じるのである。昔は、よくレゲヴのお父さんやお母さんに、「keikoは黙ってばかりいて、何も話しをしてくれない」と言われたが、今では、日本の「沈黙も言葉」であることをよく理解してくれ、また私も、黙ってばかりいる日本人ではなくなっている。国際文化の交流は、こんな小さなところでも行われているのだ。
日本の食卓と、イスラエルの食卓の違いには、民族の文化の違いが顕著に見れて、なかなか面白い・・・と、祭日続きのイスラエルの食卓の風景を眺めながら、レゲヴと「日本人とイスラエル人」論を交わす、休日となった。
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Park Nesher-Haifa

イスラエル第3の都市ハイファ。
港町として栄え、北部最大の活気ある町である。
美術館やキリスト教ゆかりの場所も多く、バハーイ教の聖地美しいバハーイ庭園がある。
今回は、レゲヴのお父さん・弟達の誕生日祝いを兼ねて、
ハイファの国立公園に2004年建設された、Nesher(ネシェル)橋を訪ねることにした。
この橋は、イスラエルにある唯一のつり橋で、交通の便のために建てられたものではなく、
景観のため、自然を楽しんでもらうために作られたそうだ。
緑茂る谷間に2本のつり橋が架かっており、子供達が喜んで渡っている様子はほのぼの。
つり橋からは、景色が一望でき、ハイファ大学もすぐそこに見ることが出来る。
子供と一緒にトレッキングの出来るコースがあり、いつも家族連れで賑わう場所でもある。
夏休みや週末は、歌や踊りなど子供達のための各種イベントがあり、
都市の中の自然公園として、家族の憩いの場所として人気があるそうだ。
レゲヴと家族はつり橋を堪能し、ハイファでのおいしい食事を楽しみ、
もちろんほろ酔い気分で、久々のハイファでのひと時を終え、岐路についた。

Hal Bental(Golan Heights)

レゲブのお母さんの誕生日祝いは、いつも家族みんなでのドライブ。
そして企画は毎度レゲブに託されるのである。
今年はゴラン高原。
足の悪いレゲブのお母さんが、ほとんど歩かなくても、
自然を満喫できる企画をいつも考えるレゲブ。
天候にも恵まれ、小春日和となったこの日は、アーモンドの咲き誇る北道を、
牛や羊の群れを眺めながら、時折見える雪のヘロモン山に歓喜してのドライブ。
観光スポットのハル・ベンタルで、シリア・レバノン・ヨルダン・ティベリアを360度眺めながら、
ゴラン高原についての戦争の歴史や、地理についての談話をし、
美しい雪のヘロモン山を眺めてしばし休息。
その後は今回のメインイベントの食事となり、ゴラン高原といえばドルーズ村のマサデ。
ここのフムスとファラフェルを食さずに帰っては、来た意味がない。
有名店「レストラン・シャローム」で、起き上がれないほどの、
フムスとファラフェルとケバブを食して、みなご満悦。
帰り道では、すぐ近くのサアル滝(マパアル・サアル)を眺めて、
次回の本格的トレッキングへの意気込みを、レゲブと確認しあって帰宅。
雨量が少ない年で、水不足が懸念させているが、滝の立派な水量をみて少し安堵。
しかし、今年の夏は、水のない川が増えることは今から想像がつくので、
川を求めてのトレッキングは、早めのスタートとなりそうだ。
ちなみに、滝の水は氷水のように冷たかった。

家族の肖像

現在、ヨム・キプール(断食日)中。
 先日の新年の休日に、レゲブの親族一同が、親戚の新築祝いに招待され、
 豪華なプールつきの豪邸で、優雅な一日を過ごした。
 
 毎週末のシャバットには、全員とまで言わないが、多くが、おじいさんおばあさん宅に集まり、
 二人を囲んで、時間をすごす。
 ユダヤ人の家族にとって、シャバットに家族が顔を合わせるということは、
とても大事なことのひとつ。
 都会で、この習慣が守られているかどうかは、知らないが、
 少なくともキブツでは、そして、このレゲブの家族では非常に重要なこととして続いている。
 毎週末のシャバットでも、ある程度の人数が集合するのだから、
 祭日となれば、ひ孫までそろうと、40人以上の人数になる。
 そんな家族の絆を守っているのは、もちろんおじいさん、おばあさんの人柄ゆえである。
 
 キブツにおいても、レゲブの家族のように、親族一同が毎週のように会する、
 ということは、珍しくなってきている。
 やはり、核となっている、おじいさん、おばあさんが、
健在でいてくれることが、一番の理由である。
 
 日本で、はたして、このような光景を見ることができるのだろうか?と、考えてしまう。
 家族の絆、老人へのいたわりの心・・・
 すでに、このような光景が、歴史のものとなってしまった日本。
 その日本からやってきた私は、レゲブの家族の絆が、いつまでも続いてほしいと、
 本当に心から願う。

60年、それは忍耐!

60年間を夫婦として共に生きていくことは、何なのだろう?
 先日、レゲブのお爺さんおばあさんの60年目の結婚記念日を迎えた。
 毎週末、二人の自宅に家族が集まり、談話する時間があるのだが、
 この記念日には、来ることができるすべての親族が、ささやかなお祝いのために集った。
 小さな部屋は、二人を祝う喜びの笑顔で埋め尽くされていた。
 
 レゲブのお爺さんは87歳、第二次大戦中にロシアから船で逃亡し、
 イギリス統治下のパレスチナ(イスラエル)に到着する前に、
 不法移民としてつかまり、サイプラスに一年間投獄された。
 彼の両親はロシアで殺されたそうだ。
 大戦終了と共にイスラエル建国のため、すべての人生をかけてきた。
 レゲブのおばあさんは80歳、イギリス統治下時代のパレスチナ生まれの女性である。
 これは、現在のイスラエルにおいて、非常に貴重な稀なケースだ。
 二人は出会い、結婚し、イスラエル建国のため、
 キブツの建設、国の整備に精魂を費やしてきた人だ。
 
 今でも、お爺さんの昔ばなしは、笑いと涙をそそる逸話が多い。
 建国当時のイスラエルは荒廃し、お金も食べ物もなく、
政府は人々に仕事とお金を与えるため、
 ハチを捕まえたら、捕まえた数だけお金を与える、という仕事を人々に与えた。
 お爺さんはそんな仕事をして、生活の糧にしていたのだそうだ。
 
 今でも、二人の生活は質素を絵に描いたよな、贅沢とは無縁の生活をしている。
 彼らがそう望んでいる。
 もちろん現在のイスラエルは日本と同じレベルの生活ができ、
 食べ物も物資も不足することはないし、贅沢をしたければいくらでもできる。
 しかし、彼らの生活は、生きるだけの食べ物があり、体を休める部屋があり、
 家族を迎える場所があるだけで、満足なのだ。
 彼らの心は本当に清んでいる。
 彼らの前にいると、あらゆる欲というものが汚いものに感じる。
 
 そんなレゲブのお爺さんとおばあさんは、60年を共に生き、
 家族に囲まれ、幸せに生活している。
 この二人が核になり、レゲブの家族がつながっていることが、
 毎週、家族が二人の下に集うことで、本当によくわかる。
 レゲブを含め、親族すべてが、二人を心から慕い、愛し、大切にしていることがよくわかる。
 
 60年目のお祝いの前日から、私とレゲブの関係は最悪だった。
 一言も言葉を交わさず、無視しあい、私もレゲブもそのときは、
 別れることを頭の片隅で考えていたはずだ。
 子作りに頓挫していることが、私達の頭に重石を載せ、
 お互いを尊重しあうことを忘れさせていた。
 そんな関係のまま、お祝いの席に座り、つくり笑いを浮かべていたが、
 ある一言が私達の心に響いた。
 お爺さんとおばあさん曰く、結婚60年の秘密は、「忍耐」その一言に尽きた。
 私は目が覚めたような気分だった。レゲブはどう感じたのだろう。
 しかし、その後、私達の関係は修復された。
 結婚3年目。60年経つにはまだ57年ある。
 今後どれだけ、この言葉が身にしみることになるのだろうか?