日本への旅

大雨も過ぎ去り、気持ちの良い青空が広がってるイスラエル。こういう空を見るにつけ、私は本当にイスラエルが好きだと思ってしまいます。
今日から3週間、レゲヴと日本の秋を満喫する旅をしてきます。ユダヤ人テロリストの逮捕や、ロシア人一家惨殺事件の犯人逮捕など、書きたいことはあるのですが、大雨と旅行の準備でバタバタしてしまいました。日本へのおみやげは、スーツケースにたっぷりと詰め込んだ、ひよこ豆とオリーブオイル、そしてナッツ類という、色気のないものばかりです。
レゲヴには久々の日本滞在。どうなることか・・・Regev in Japan を乞うご期待!
 
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イスラエル人の日本観光

先週、200人近いイスラエル人団体が、特別に用意された直行便を使って関西国際空港に到着し、30人ほどの小グループにわかれて10日間の日本観光を満喫した。レゲヴの叔母さんもこの旅行に参加し、初めての日本で見てきたもの、体験してきたことを、いまだ旅の興奮が冷めない様子で語ってくれた。
まず、何から語りだしたかというと、日本のトイレ。出発前からウォシュレットについては説明しておいたので、叔母さんも実物を実際に使ってみて、とても満足した様子。その次は、日本の町がどれほど綺麗で清潔か、ということを力を入れて語り、また、カラオケボックスで、一人で悦に入って歌っている日本人を見たと言って大笑いしていた。私としては、こういった反応が返ってくることを予想していたので、叔母さんが日本で見たあらゆるものを楽しみ、良い意味でのカルチャーショックを受けてきたことに、少なからずホッとした気持ちだった。
叔母さんの観光コースは、大阪-京都-東京-日光-富士山-白川郷-奈良 という凝縮コース。ちょうど日本を縦断した台風の後だったので、秋晴れの恵まれた天候だったが、紅葉には少し早かったようだ。一番懸念していた食べ物については、大阪で(おそらく)たこ焼きを食べたが好みではなく、寿司屋で、なんだかわからないけど出てきたものを全部食べておいしかったそうで、また、日本の甘い物は甘くない!と、レゲヴと同じく甘い物好きの叔母さんは言っていたが、なにを食べたのか?と聞いても「何だったのかわからない、何か日本のもの」だそうだ。
そして、「なんて書いてあるの?」と聞かれた、外国人に人気の漢字T-シャツ「闘魂」

 
叔母さん曰く、「日本で何が一番気に入ったかというと、誰もが自由に宗教を選ぶことができて、なおかつそれについて誰も気に留めないことが素晴らしい。私はそういう国がいい」と言っていたが、それはまさに、宗教という鎖につながれている、イスラエルという国に住んでいるから出てくる言葉だと思う。今まで、親族の中に日本人がいる程度の認識で、本当の日本と日本人について知らなかった叔母さんが、日本人妻を持っているレゲヴとは違う視点から日本を見てきてくれたことは、私にとって本当に喜ばしいことである。
最後に、叔母さんが日本で見てきた日本人の印象は、「みんな止まらずに走っている」「あんなにお辞儀ばかりして、首が痛くならないのか」「着物を着ている人がいなかった」という、思わず苦笑いしてしまうものだった。
 
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ウズベキスタン航空

今回の日本への帰国では、初めてウズベキスタン航空を使いました。今までも料金が安いので気にはなっていたのですが、その安さが逆に心配で使わずにいたのです。今回の帰国は事情もあって3ヶ月オープンを購入したかったので、3ヶ月オープンにも関わらず1100ドルという安さに飛びつきました。
ベングリオン空港では、同じくウズベキスタン航空で日本へ帰国する日本人観光客の団体と一緒になり、少し話をすると、彼らも聞きなれないウズベキスタン航空には抵抗があったけど、旅行会社最大手のJ*Bが使っているので、大丈夫だと思ったと話してくれました。そして、15人ほどでイスラエルを旅し、宿泊は全てキブツで、なんとも言えない今までに感じたことのない、どこへ行っても何を見ても感激する、非常に素晴らしい旅だったと語ってくれたことが、出発前に私の気持ちをとても嬉しくさせてくれたのです。
飛行機はヨーロッパ便の最新型に慣れていたので、各座席のモニターがない一昔前のものでちょっとガッカリでしたが、タシケントまで5時間30分ということを考えれば、それでOKです。乗り継ぎのタシケントは、小さくて、待合場所も込んでいましたが、2時間待ちだったのでそれほど気になりません。タシケントから日本へは7時間30分で、同じく座席モニターはなし。ほとんど日本人客で、トルコの旅をしてきた団体と一緒になりましたが、座席がガラガラだったので一人一列といった感じで、ゆったりと座席を使えたことが最大の利点でした。食事は一切口にしなかったので参考にはなりませんが、期待しない程度の普通の機内食だったように思います。
今までは一番安く、日程の取りやすいヨーロッパ経由でトランジットを含めると20時間以上を飛行機に費やし、なおかつ電車の移動を入れると30時間近くかけて玄関から玄関までだったので、最近では足の痛みが尋常ではなかったのですが、今回は飛行機だけ13時間で日本についてしまいました。昨年から大韓航空がイスラエル便を再開したので、使おうと思っていましたが、サービスを必要としないのであれば、ウズベキスタン航空の方が安いので、日本直行便が運行しない限りはウズベキスタン航空を使うことになりそうです。
ただ、日本から出国する時に、今まで機内持ち込み荷物について重量を制限されたことがなかったのですが、今回は5kgとチェックイン時に言われ、超過分をスーツケースに詰め込んで、結局スーツケースの超過分を払うことになってしまいました。今後の日本滞在では、買い物も自粛する方向で行かなくはと反省する結果となりました。

ダニエル・バレンボイム カイロ楽団と競演

毎日、新聞を読んでもイスラエルについての記事がなく、やはり戦争でも起きなければイスラエルが報道されることはないのだな・・・とあきらめていましたが、今日は二つのイスラエル関連の記事が載っていました。
一つは、ネタニヤフ首相のパレスチナ国家樹立への中東和平について「パレスチナがイスラエルをユダヤ人国家として認める必要がある」と表明し、5月に訪米するにあたって、中東和平へ向けての米国とイスラエルの駆け引きを示唆した記事でした。すばらしい英語力をもつネタニヤフ首相とオバマ大統領との会談が、どのようなものになるかは非常に興味深いものです。心配なのは、外務大臣になったリーベルマン。あのロシア語なまりの下手な英語には、英会話学習が必須でしょう。

もう一つは、指揮者のダニエル・バレンボイム氏が、カイロ楽団と初競演した記事です。クラシックに疎いので調べてみると、バレンボイム氏は、以前エルサレムでワーグナーを演奏して非難された人でした。そのときは、なぜワーグナーが問題なのかも知りませんでしたが(正直、今でも完全には理解できませんが)、和平派として知られるバレンボイム氏は、パレスチナ国家樹立を支持し、パレスチナ人との音楽交流を続けてきたユダヤ人です。イスラエル政府のパレスチナ政策や軍事政策を批判し、一部のイスラエルからは「反ユダヤ主義者」とも呼ばれるほどですが、パレスチナとイスラエルの共存を訴え、音楽によって中東和平を呼びかけているすばらしい人物であることがわかりました。そのバレンボイム氏が、平和条約を30年締結しているが文化交流のないエジプトで初競演し、満場の観衆から喝采をうけたとあり、中東和平を訴える著名なユダヤ人の記事が、地方紙にも載っていることに、少なからず感動したのです。
村上春樹氏やバレンボイム氏など、著名な文化人による和平への呼びかけによって、人々の中東和平への関心が高まることを、今後も期待したいと思います。

日本にて

父の危篤連絡を受け、ベングリオン空港で出国を待っているときに、労働党のバラクが入閣の賛否を問う党の投票で、賛成派多数となったことをしりました。
 
そして、日本へ到着し、ニュースも新聞も見ない日々を送って、久々に新聞を読んだら、リーベルマンが外相になっていることを知りました。
 
労働党が入閣、そして、あのリーベルマンが外相となり、イスラエルの恥が世界を回るかと思うと、ネタニヤフの新内閣発足のニュースも、なんら希望のないものに聞こえました。
こんなに面白い事が起こっているイスラエルにいることができなかったのは残念ですが、もうしばらく日本滞在なので、これを機に、できる限り日本から見るイスラエルを観察していこうと思います。蛇足ですが、ニュースから流れるヘブライ語を日本で聞いているのは、非常に変な感じです。
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Jerusalem2008

   
結婚5年目の記念旅行を、首都エルサレムで過ごした。
 レゲブにとっては13年目、私にとっても7年目の、世界のへそエルサレムである。
 車で約3時間かけエルサレムに到着。
 久々のエルサレムは、やはり空気が違い、人が違い、重く感じるのである。
 かつて旧市街に入り浸っていたころは、旧市街を拠点にとにかくエルサレムを歩いたものだ。
 旧市街周辺も、ヤッフォ通りも、観光案内は必要ない。
 しかし、イスラエル人レゲブに、旧市街の観光案内をするとは思っても見なかった。
 
 到着した初日は、ホテルより一番近い、イスラム地区のダマスカス門から旧市街に入った。
 レゲブには前もって、英語でしゃべるようにと言っておいたが、
 レゲブは「大丈夫・大丈夫」とあまり気にしていない様子だった。
 夕方遅かったためか、人ごみもなく、意外と静かな様子で、
 私の知っているイスラム地区とは、少し感じが違って見えた。
 旧市街に入ってからというもの、レゲブは一言も言葉を発せず、
 私の案内する後を、たまにニンマリと笑いながらついてくるばかりだったが、
 後で聞いたところによると、この時、レゲブはイスラム地区にいる恐れはないが、
 少なからず、緊張感があり、神経質になっていたそうだ。
 
 かつては、旧市街のあらゆるところに兵隊が監視をしていた。
 しかし、近年の紛争により兵隊は旧市街から姿を消し、現在は監視カメラが設置されている。
 レゲブのようなイスラエル人が、イスラム地区を観光すると言うことは、
 ある意味、危険なことなのである。
 
 イスラム地区を抜け、ユダヤ人の聖地「西の壁」へ行くと、さすがに安堵する。
 レゲブにとっても、「我らが地」である。
 宗教心のないレゲブでも、少し、感激したそうだ。
 私は何度となく、この「西の壁」にきているが、やはり、部外者であることを深く感じる。
 ユダヤ人でない私は、信仰の象徴である壁には、近づきたくないのである。
 遠くから眺めてるだけで、十分なのである。
 
 今回の旅行では、キリスト教地区や、アルメニア地区を観光する時間はなかったが、
 エルサレムの旧市街は、やはり、世界にとっても特別な場所であると、再認識した。
 
 2日目は、「ヤド・バシェム(ホロコースト記念館)」へ行き、解説を聞きながら、
 重く、苦しい、ユダヤ人の悲劇の歴史を、3時間かけて、見て回った。
 何度も胸が熱くなり、涙がながれ、歴史という大きな流れを考えずにはいられなかった。
 
 最終日は、エルサレム大学で勉強している日本人の友人に5年ぶりに会い、
 キリスト教の地「エイン・カレム」の美しい景色や教会を見ながら、尽きない話で盛り上がった。
 彼女は勉学を終え、7月に日本へ帰る予定である。
 彼女もイスラエルに心を奪われた一人であるが、また、日本人として目覚めた一人でもある。
 今後は、日本の子供達に、イスラエルについて、そして彼女の経験について伝えていくだろう。
 
 いつもの、のんびり・リフレッシュ旅行とは違い、
 都会エルサレムは、めまぐるしく時間が過ぎてしまった。
 レゲブに見せたいところや、レゲブが行きたいところは、まだまだあったが、
 週末のエルサレムは、とにかく、何もない(交通も店も、何もかも閉まっている)。
 これもエルサレムの醍醐味ということで楽しみ、
 ユダヤ人宗教家、アラブ人、世界から来る観光客など、普段あまり眼にしない人々をみて、
 たっぷりと観光客気分を味わってきた。

Dead Sea(死海)

久々に死海へ行ってきた。
ボランティアのころは毎年行っていた場所だが、レゲブと一緒になってからは、ご無沙汰していた。
当初の目的は、ミュージシャンのポールウインター(Paul Winter)が、
死海でコンサートをするために来るので、彼のファンである私たちはこの機会を逃してなるものか・・・
との意気込みで、ホテルを予約したのだ。
しかし、ここはイスラエル。なんと、10日前になって、観客が集まらないとの理由で、
コンサートはキャンセルになってしまったのだ。
ずいぶんと前から計画し、ものすごく楽しみしていた私たちの落ち込みは、相当なものだった。
コンサートなしで死海に行っても、楽しみはないとの意見で、計画自体を取りやめることも考えたが、
レゲブの誕生日や結婚記念日をこじつけて、死海で休暇をとることにした。
死海までの道のりは、ヨルダンとの国境沿い、ウエストバンクを通って4時間の運転。
北の緑が多い景色から、刻々と砂漠の岩肌の景色に変わっていくさまは、
同じ国の中で、異国を味わう気分だ。
ホテルは、死海のホテル群の中でも新しいダニエル(Daniel)ホテルのスイートルームを予約。
ポールウインターとスイートルームで、超リッチな気分を味わおう!というのが、レゲブの趣旨だった。
コンサートはなかったが、スイートルームでは、死海を眺めながら、
外のベランダでジャクジーを楽しむことができ、広々とした快適な部屋と、
広いバスルームでのジャクジー、そして、VIPサービスのワインと軽食が用意されていた。
もちろん私とレゲブにとって、ホテルのスイートに宿泊するのは初体験。
なんだか、身分不相応な、ちょっと恥ずかしい、落ち着かない感覚だった。
2泊3日の死海滞在では、一日を砂漠の中にあるアルゴット川(Nahal Algot)のトレッキングに使い、
自然の環境で生息している動物たちとの遭遇を楽しんだり、
川の中を歩きながらトレッキングをしたり、滝に打たれたりと、砂漠の中の大自然を満喫してきた。
もちろん死海での浮遊体験も忘れない。
世界で唯一の死海。海抜418メートル、塩分濃度30%、自然の生み出した驚異。
イスラエルの情勢にかかわらず、是非、一度は訪れてほしい場所である。

スイス

  
戦争を乗り越えたご褒美に、生きている喜びを満喫するために、
自ら与えた私達へのスイス旅行プレゼント。
レゲブと二人で海外を旅行するのは、前回のレゲブ日本上陸以来のこと。
私達にとっては、とてもスペシャルな休日であった。
乗り継ぎの関係から、ミラノでレンタカーを借り、スイスを目指した。
二人にとっては見知らぬ土地、まさに右も左もわからぬ状態からの出発。
ミラノの空港付近からスイス方面に出るだけでも、1時間以上もかかってしまった。
アルプスの山越えでは、素晴らしい景色を眺めながら、
ひとつひとつの道を確認しながらのドライブ。
青く遠い空、雪の残る山々、流れ落ちる滝、やさしい緑とかわいらしい家々。
どれも私達の胸をワクワクさせるには、十分過ぎるほどだった。
何時間も迷ってやっとたどり着いたスイスの滞在場所は、
Valais地方にある Champoussin – Portes du Soleil。
アルプスの山にあるペンション群のひとつで、まさにアルプスの少女ハイジの世界。
部屋の中には自炊用の道具が全てそろっており、
一週間の滞在を飽きることなくすごすことができた。
部屋からはアルプスの絶景を眺め、牛達の鈴の音を目覚ましに起き、
焼きたてのパンとチーズを持って、毎日トレッキングに出かけた。
ルマン湖を観光し、チョコレート工場での試食を堪能し、夢のフォンドゥを楽しんだ。
大自然の中、毎日が満ち足りた静けさと、幸せでいっぱいになった。
一週間のスイス滞在を終え、ミラノに戻り、おいしいピザとジェラート、
最高のレストランで、10日間のスイス・ミラノの旅をしめくくり、
レゲブはイスラエルへ、私は日本へと旅を続けるため、空港で別れた。
戦争という、辛い時間を乗り越えてきて、しみじみと感じた心の安らぎと平和。
イスラエルが今後どのような道を進もうと、
平和なくして人々の心に安らぎはないと、改めて思い知る時間になった。

日本の夏2005

久々の日本の夏体験も、あっという間に過ぎ去ってしまった。
日本のテレビで見ていたガザ撤退の様子も予想外にスムーズに進み、
イスラエルの情勢・ガザからの撤退など、ホットな話題を親族らと交わすこととなった。
夏にしかない楽しみを求めての帰国だったが、日本の夏の暑さを計算に入れていなかった。
とにかく蒸し暑い。湿気・湿気で、イスラエルの乾燥した暑さに慣れてしまった体は、
あちらこちらで問題が起こり、悲鳴をあげていた。
しかし、日本の祭りムード、花火、枝豆、ビール、蚊取り線香、夏休みの子供、お盆。
どれもみな私には懐かしく、夏の暑さも風流とする日本人の感性を、
改めてしみじみと味わってきた。
もちろん、友人達との交流は、何よりも変えがたい、
イスラエルでは味わうことの出来ない、私にとっての最高の時間であった。
そして、毎日、母の料理を食べ、父と晩酌し、甥っ子達の成長に微笑み、
家族の暖かい気持ちを受け取り、一晩中尽きることなく母と会話をしていた。
時には涙も流れ、言葉に詰まる時もあり、感情を押さえるのに苦労した場面も多くあった。
幸運にも、レゲブが仕事で日本に来ることになり、仕事を終えた後は、
新潟の実家に数日滞在することができた。
日本の暑さと連日の深夜までの仕事で、相当疲れていたが、
短い時間ながらも、佐渡への日帰り旅行や、
新潟でオープンしたばかりの大衆演芸場での演劇鑑賞など、
プチ滞在を満喫していった。
レゲブとは一日違いでのイスラエル帰国となり、あわただしく荷物を整理し、
最後はゆっくりと、家族と時間を過ごすことも出来なかったが、
道々、手作りのおにぎりを食べながら、過ぎた日々を思い出して、
次の帰国の実現を頭に思い描いていた。
私にとっての日本帰国はまさに「一期一会」。
その時、その瞬間が、二度とないものである。
全ての人との出会いと時間を、100%大切にしたい。
次に会う約束は、私の生きていく糧となり、この世に存在出来る証となる。
そんなことをいつも日本へ帰国する時に感じる。
私のために沖縄から怪我をしても来てくれた親友、
忙しい時間を割いて、会う時間を作ってくれた友人達、
会話が出来なくてもレゲブのために一生懸命になってくれる家族。
みんな、本当に心からありがとう。
連絡出来なかった遠くの友人達、次の機会に会おうね。 

キプロス島結婚

6月9日、サイプラス(キプロス)結婚。
早朝7:30発のため、北の果てのキブツからは夜中の2:00に空港へ向けて出発。
約2時間の運転後、テルアビブ空港に到着し、チェックイン。
今回は、旦那となる保護者とその家族が同伴なので、すんなり通過。
サイプラスに到着すると式まで十分な時間がない、と聞いていたので、
私の場合、ベングリオン空港にて念入りにお化粧を始める。
(すでに化粧の仕方を忘れるくらいに、長きにわたり化粧をしていなかった)
そのあいだ、家族達はDUTY FREEに大忙し。
約40分間のフライトで、サイプラスに到着。(機内ではジュースのみ)
ガイドが到着ゲートで待っており、そのままLanakaの市役所まで直行。
市役所に入り、書類に必要事項を記入すると、私達の順番まで待ち。
その日は4組のカップルが結婚式を挙げた。
式はLanakaの市長によって、市役所の一室で挙げられる。
市長は大きなメダルを首から下げ、なんとも慣れた感じだった。
指輪をテーブルの皿の上に置き、立会人が二人寄り添う。
(私は彼の両親が立会人となったが、同伴者がいない場合は役所の人が立会人となる)
市長により式は進行し、3枚の契約書にサインをし、指輪を交換。
これによって正式に二人は夫婦と認められる、と市長が感慨深そうに説明する。
その間、BGMはもちろん結婚マーチ。
およそ15分間ほどですべてが終了し、最後に市長と共に「ハイ、チーズ」。
Lanakaでは、結婚記念の盾をもらい、契約書類を作成してもらうためのチップを、
20ポンド(約5000円)払った。
書類は後日ホテルへ送られるということで、その場を後にする。
以上がサイプラス結婚である。
その後はLimasolのホテルに3泊し、サイプラス観光を楽しむ。
帰国便はサイプラス夜10:30発、キブツに帰りついたのは夜中の3時だった。
疲れているのか、結婚で興奮しているのかわからない気持ちで、
なんとなく不思議な気分を味わった、サイプラス結婚だったが、
無事すべてが終わり、こうして振り返ってみても、良い式だったと思う。
簡潔・簡素、まさにシンプルの一言に尽きた。