レナード・コーエン in イスラエル

本日(9/24)テルアビブでレナード・コーエン(Leonard Cohen)のコンサートが行われる。先日、スペイン公演で倒れたと聞いて心配していたが、 体調は万全で公演にも差し支えないということで安心した。75歳でも精力的に世界中を回ってコンサートをしている彼の姿には感服してしまう。
もともと音楽には疎いので、レナード・コーエンの存在を知ったのは、イスラエルに来てから。彼がユダヤ人ということもあるが、イスラエルでは絶大な人気をもっている。初めて彼の歌を聞いた時、渋くて太い、物悲しげな声にすぐに魅了されてしまった。詩人・小説家・ミュージシャン・はたまた禅の和尚でもあるレナード・コーエンの魅力は、ボブ・ディランの魅力と同じく、老いてもなお尽きず、益々いぶし銀に磨きをかけて、輝いて見える。
イスラエルは先日、新年を向かえたばかり。そして、贖罪の日(ヨム・キプール)を目前にして、レナード・コーエンの歌声がイスラエルで響くというのも、なかなか乙な演出だ。コーエンのコンサートがイスラエルで催されるのも、きっと今回が最後になるだろう。コンサートへは行かないが、彼の音楽を聞いて静かに贖罪の日を迎えたいと思う。
 
Leonard Cohen – Hallelujah (動画)
http://www.youtube.com/watch?v=ttv5dyvtF4o
 
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マドンナ in イスラエル

 
(カディーマ党党首リブニーとマドンナのお出かけ)
9月1日、今日から新学期が始まると同時に、2日間のマドンナコンサートがイスラエルで催される。すでに、イスラエル入りしていたマドンナへのパパラッチぶりは、言うに及ばずなのだが、政治家から、有名人から、とにかくマドンナのイスラエル初コンサートに、イスラエル中が熱狂する2日間となるだろう。
マドンナといえば、カバラ信仰でも有名。カバラを教わりに何度かお忍びでイスラエルにも来たことがあり、エステルというユダヤ名も授って、マドンナがユダヤ教に改宗したいとでも言い出そうものなら、明日にも改宗が承諾されるのでは・・・と思えるほどである。
コンサートに行くほどの熱狂的ファンでもないが、マドンナの力強い生き様と最高のエンターテイナーとして活躍する姿に、惚れ惚れする気持ちもわからなくはない。そして、一見の価値あるコンサートになるのだろう。コンサートに行かない私は、コンサートに行くと言っていた そんなテルアビブ さんの記事を楽しみにしたいと思う。
冒頭でも書いたとおり、今日から新学期が始まり、新入生の初登校姿が朝から見られている。シモン・ペレス大統領が「戦争はありません、静かに勉強できます」、と言って始まる新学期は、イスラエルくらいなものだろうか。マドンナのコンサートで幕を開けるイスラエルの新学期、このまま好スタートを保って、3週間後のユダヤの新年を迎えたいと思う9月の始まりである。

(シモン・ペレス大統領と新入生たち)
 
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祖父に捧げる歌 「Elohei」-Kobi Oz

Kobi Oz (コビィ オズ)はシンガーソングライターとしてだけでなく、作家として、また、TVホストとして多くの方面で活躍するマルチタレントで、彼のバンドTeapacks では、アラブ系音楽を取り入れたユーモア感あふれる歌が目立ち、多くのヒット曲も持っている。
個人的には「神様、エロヒーム」と歌う歌は好きではないのだが、Kobi Ozの新曲「Elohei」は、彼の亡くなった祖父へ捧げる歌ということもあってか、非常に心に響き、大好きな曲となった。というのも、この曲の誕生秘話を知ったせいもある。
彼の祖父は穏健派の信仰に篤いスファラディーだったが、Kobiは一般的な環境で育ち、宗教的なことを好まない少年だった。Kobiのバルミツバ(13歳の宗教儀式)の時、彼の祖父が一緒に祈りの歌を歌おうとしたが、Kobiはそれを拒絶し、彼の祖父は何もいわずにその2年後に他界する。そして最近になって、彼の祖父が録音したカセットテープが見つかり、それがKobiのバルミツバの準備のために録音したものとわかったのである。孫を思い録音したであろう祖父の祈りの声と、その祖父と一緒に歌うことができなかったKobi の悔いと飾りのない言葉が、共に歌となって祈りとなって心に響いてくる。

エロヘイ/ コビィ・オズ
僕はこんなにもたくさんあなたに話したいことがあるけど、ほら、あなたは何もかも知っている。
僕はこんなにもたくさんあなたにお願いしたいことがあるけど、ほら、あなたはいつも親切でいてくれる。
僕は全てのすばらしいことに対してあなたに小さく微笑み、そしてふと気がつくんだ。
そして、僕は戸惑うんだ、あなたをどう呼んでいいのだろうかと。
僕はあなたへの扉の前に立ちながらこんなにも感謝して感謝して感謝するけど、僕の感謝はキッチュなものとなってしまう。
僕はたくさんの願い事を願い事を願い事をあなたにする、たとえ全てが大丈夫だとしても。
神様、もしあなたが僕の祈りを聞いているなら、僕の祖父によろしくと伝えてほしい。
穏健だったスファラディーは過激に豹変してしまったと祖父に伝えてほしい。
でも、全てを辛抱つよさで満たし、ほら、少しずつ人々は緊張から這い出し、結局は一緒になりたいと願うんだ、このイスラエルと呼ばれる大きなシナゴーグで、ここでロケットを恐れながら雨が降ることを祈り、空を見上げることを招待されているんだ。
僕はあなたへの扉の前に立ちながらこんなにも感謝して感謝して感謝するけど、僕の感謝はキッチュなものとなってしまう。
僕はたくさんの願い事を願い事を願い事をあなたにする、たとえ全てが大丈夫だとしても。
 
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Daniel Zamir

ジャズ・サクソフォーン奏者 Daniel Zamir のライブに行ってきた。彼の音楽はジャズといっても独特で、ユダヤ教の祈りの言葉をサクソフォーンの音と共に歌い、声を発して演奏をする。
もともとはいわゆる普通の人であった彼は、NY滞在時にユダヤ教をより身近に感じて(חוזר בתשובה)信者となり、NYで活動していたが、数年前にイスラエルに戻ってきた。そして、4月にイスラエルでの3rdアルバム「ONE」が発売され、その中に現在もハマスに捕らわれたままになっている(2006年~)Gilad Shalit のための15分バージョンの「Hatikva」が収録されている。
ハイファの小さなライブハウスでの演奏だったが、細くて小さな彼の体からは想像もつかないほどのエネルギーを感じさせる、力強いサクソフォーンの演奏と歌声だった。レゲヴは数年前に彼を知ってからというもの、彼の大ファンであり、演奏中に一緒に歌ったり、演奏終了後も一緒に会話したり、CDにサインしてもらったりと、興奮の一夜となったようだ。ライブにきていた人たちはジャズということもあって、若い人ばかりではなく、中年夫婦も多く、みな彼の演奏に聞き入っていた。3度のアンコールに答えてくれ、素晴らしい演奏をしてくれた Daniel のこれからの活躍が楽しみと感じるひと時であった。

(Daniel Zamir のMySpace で、彼の他の演奏を聞くことが出来きます)
 
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ダニエル・バレンボイム カイロ楽団と競演

毎日、新聞を読んでもイスラエルについての記事がなく、やはり戦争でも起きなければイスラエルが報道されることはないのだな・・・とあきらめていましたが、今日は二つのイスラエル関連の記事が載っていました。
一つは、ネタニヤフ首相のパレスチナ国家樹立への中東和平について「パレスチナがイスラエルをユダヤ人国家として認める必要がある」と表明し、5月に訪米するにあたって、中東和平へ向けての米国とイスラエルの駆け引きを示唆した記事でした。すばらしい英語力をもつネタニヤフ首相とオバマ大統領との会談が、どのようなものになるかは非常に興味深いものです。心配なのは、外務大臣になったリーベルマン。あのロシア語なまりの下手な英語には、英会話学習が必須でしょう。

もう一つは、指揮者のダニエル・バレンボイム氏が、カイロ楽団と初競演した記事です。クラシックに疎いので調べてみると、バレンボイム氏は、以前エルサレムでワーグナーを演奏して非難された人でした。そのときは、なぜワーグナーが問題なのかも知りませんでしたが(正直、今でも完全には理解できませんが)、和平派として知られるバレンボイム氏は、パレスチナ国家樹立を支持し、パレスチナ人との音楽交流を続けてきたユダヤ人です。イスラエル政府のパレスチナ政策や軍事政策を批判し、一部のイスラエルからは「反ユダヤ主義者」とも呼ばれるほどですが、パレスチナとイスラエルの共存を訴え、音楽によって中東和平を呼びかけているすばらしい人物であることがわかりました。そのバレンボイム氏が、平和条約を30年締結しているが文化交流のないエジプトで初競演し、満場の観衆から喝采をうけたとあり、中東和平を訴える著名なユダヤ人の記事が、地方紙にも載っていることに、少なからず感動したのです。
村上春樹氏やバレンボイム氏など、著名な文化人による和平への呼びかけによって、人々の中東和平への関心が高まることを、今後も期待したいと思います。

ギターと戦争

 13日に国連で採択されたイスラエル非難決議は、アメリカが拒否権を行使することなく、あわや賛成に回る(土壇場で棄権した)というイスラエル外交の失態を浮き彫りにし、オルメルト首相は冷や汗をかくことととなった。今までアメリカに擁護されてきたこのガザ侵攻が、親に見離されるような敗北感を味わった一瞬である。しかし、オルマルト首相は決議には見抜きもせず、開き直りの態度をみせてガザ侵攻を続け、また、14日朝には再びレバノンからカチューシャロケットが、キリヤットシュモナの地域に2発被弾した。
今のところ、イスラエル軍の第三段階への移行も保留され、大きな状況変化も見られず、エジプトを介しての本格的な停戦へ向けての調整が始まりつつあるようだ。
2006年の第2次レバノン戦争の時に、ミュージシャンの David Broza が被災地を慰問して演奏していることを伝えたが、今回も、彼は紛争が始まると同時に、被災地を訪れ演奏活動をしている。 

ワゴン車一台とギター一つを手に、彼は危険を惜しまず移動しながら、人々を励まし、勇気付けている。彼の歌が、人々の心に響き、大きな助けと希望になることは、2006年に実際に彼の演奏を聴いた私が一番よく知っている。どれほど、気持ちを救い上げられたことだろう。 

 David Broza の活動に心から敬意を示したい。(記事 Ynet:ヘブライ語)
 
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イスラエル音楽の遍歴 (完): コレクション

これまで多くのアーティストを紹介してきたが、カテゴリーに収まらず、今だ紹介されていない、私のお気に入りのアーティスト達がいる。David Broza と Idan Raichel’s Project を紹介したい。
 
David Broza (1955 – דייוויד ברוזה)
David Broza (デイビッド・ブロザ)は、ハイファ出身のシンガーソングライター。彼のライブ・パフォーマンスは、ギターのテクニックと彼の魂の叫びを感ずる歌で人々を魅了する。英語・スペイン語・ヘブライ語の歌詞を歌い、世界中で演奏している。特にアメリカでは、ユダヤ人だけでなく彼のファンは多い。彼との出会いは、1998年のイスラエル建国50周年式典でのエルサレム。独立記念公園でライブ演奏する彼をみたのが始まりである。今でも、彼の演奏を忘れることは出来ない。私は、そのままステージ裏に走り、彼と写真を撮り、その足で彼のCDを買いに行った。それ以来、彼は私にとって特別なイスラエル・ミュージシャンである。そして、2006年夏の第二次レバノン戦争では、彼は北部地域の被災地を演奏して回り、被災者を励ましてくれた。私の住む場所にも演奏に来てくれ、その時に1998年にはじめて彼と出会った時に買ったCDにサインをしてもらったのだ。下に紹介する彼のクリップは、有名なMasadaライブ。朝日を見るためにライブは夜中に始まり、朝日と共にクライマックスを向かえるという、伝説のライブである。そして、この歌「Under the Sky」も私にとっては特別な歌で、ヘブライ語を自力学習しているときに、歌詞を訳して始めてヘブライ語で歌えるようになった歌である。歌詞の訳はTsukaさんの second cashe にTsukaさんのDavid Broza への思いと一緒に記載されているので、是非読んでほしい。2008年今年は、久々にDavid がMasadaライブをしたことが話題になった。平和活動としてパレスチナ歌手とのデュオをするなど、彼は私にとって、No.1のイスラエルミュージシャンである。
“מתחת לשמים” (Mitachat Lashamayim)
- ” Under the Sky “

イスラエル音楽の遍歴 (7) : キブツ出身の歌手

キブツは、イスラエル建国から現在にいたるまで、政治家や軍人や知識人などの、多くの重要な人物を輩出してきたが、音楽においても重要な役割を果たしてきた。Naomi Shemer もキブツ出身の音楽家であり、合唱団Givatron もキブツである。キブツの自然、環境、個性、交友などが、音楽家を育てるのだろうか・・・と思いきや、単に暇で、他にすることがないから、という意見が返ってきた(一理あるが、もちろん才能あってのことである)。キブツ出身の歌手のなかで、特に傑出している人物を紹介したい。
 
Meir Ariel (1942-1999 מאיר אריאל‎)
“היכנסי כבר לאוטו וניסע” ( Hikansi Kuvar LeAuto VeNisa) 
-”Come to the car and we’ll drive away”
Meir Ariel(メイル・アリエル)はキブツ Mishmarot 出身。シンガーソングライターであり、「詩の人」として有名で、彼のヘブライ語の歌詞は、多くのイスラエルの詩人達にも影響を与えた。キブツでは、トラクターに乗って畑を耕し、いつも歌詞のことばかり考えていたので、畑をめちゃくちゃにしたという逸話もある。パラシュート部隊として6日間戦争をエルサレムで戦い、その後、しばらくの間渡米していたが帰国し、本格的にフォークロックの創作活動をはじめた。彼はポピュラーな歌手ではく、音楽家の認める音楽家、知る人ぞ知る音楽家として、カリスマ性を発揮したが、商業的には成功しなかった。1999年に若くして他界してしまったが、今でも人々に愛され続けている、歌手である。

イスラエル音楽の遍歴 (6): 芸能一族 Banai

 Banai(バナイ)といえば、イスラエルでは知らない人はいないタレント一族Banai。演劇俳優・音楽・コメディと、タレント家業に秀でた一族である。元祖のメイル・エリーウ・バナイの8人の子供達のうち、1人が裁判官、4人が芸の道へ進み、その5人のバナイの子供達が、音楽家としてコメディアンとして活躍している。親も子も、どのバナイも、芸に秀で、才能あふれ、ネームバリューだけではない、 一流の芸能人である。ここでは音楽に関連するバナイたちを紹介する。
 
Yossi Banai (1932-2006 יוסי בנאי)
“על כל אלה” (Al Kol Ele) – “On all of these”
Yossi Banai(ヨッシィ・バナイ)は、俳優であり、歌手であり、イスラエルの偉大なエンターテイナーである。エルサレムの有名なマハネィ・イェフダ市場で生まれ育ち、学校を中退して劇場に入っている。俳優として数々の劇場で活躍し、歌手としても、かすれたハスキーな彼の独特の声は、国民に愛されており、1998年に国民栄誉賞を受賞している。バナイ一族の中で、もっとも秀でた芸の元祖である。(画像の歌は、Naomi Shemerの作詞・作曲)

イスラエル音楽の遍歴 (5): オリエンタル音楽

イスラエルには大きく分けて二つの民族集団がある。アシュケナジィ(Ashkenazi, אשכנזים)とは、ショアにより欧州・東欧より移民してきたヨーロッパ系の人々のことを呼び、ミズラヒィ (Mizrachi, מזרחים)とは、アラブ諸国のイスラム文化の中で生活していたユダヤ人達のことを呼ぶ。ミズラヒィの音楽は、彼らがモロッコ・シリア・イラク・イエメンなどのアラブ諸国からの文化を強く受け継いでいることや、アラブ語のアクセントがあるなど、歌に独特のアラブの特徴が見られる。歌いまわしや雄叫びが日本の演歌のように感じて、私の中では「ミズラヒィは演歌」となっているのだが、レゲヴはそれを否定する。オリエンタル度120%のイスラエルの演歌である。
 
Zohar Argov (זוהר ארגוב‎) – “HaPerakh BeGani” (“The Flower in My Garden”)
Zohar Argov は「King of Mizrachi」と称される伝説の歌手である。イエメンからの移民の子で、子供の頃の生活は非常に貧しかったらしい。当時はミズラヒィの歌はポピュラーでなく、彼はミズラヒィに対する差別への反発も歌にこめて歌っていた。彼の声・才能ともに素晴らしく、レコーディングも一回で終了するほどだったらしい。しかし、1987年、32歳という若さでこの世を去る。ヘロイン常用者であったことが死因と関係しているらしいが、正確は事はわからない。彼は死して「キング」の座を不動のものとしたのである。