BBの眼

2000年10月、ヨムキプール。
私達ボランティアは食堂に集められた。そして、ボランティアリーダーから、
「今夜、もしかしたらシェルターに入ることになるかもしれないので、準備をしておくように」
と、笑顔で説明された時、私は「また、始まったな」と思った。
25人のボランティアは、一様に戸惑いの表情を浮かべ、様々な質問を投げかけた。
「何が起こっているのか?いったいどうなるのか?安全なのか?
もし、戦争になったらどうしたらいいのか?」などである。

リーダーは、ただ微笑みながら、
「何も起こらないかもしれないし、起こるかもしれない。それは誰にもわからない。
それに、こんなことはよくあることさ。
戦争になったとしても、あっという間にイスラエル側の勝利で終わるよ。
イスラエル軍は世界一だからね。」
そして、
「もし、今すぐにイスラエルから出国したい人は、手続きするから教えて」と付け加えた。
誰も、手をあげる者はなく、ただ沈黙と目線だけが交差していた。

私のキブツニークの友人は、
「僕はシェルターには入らないよ。ヒズボラが攻めてきたら戦うまでさ」
と、かれもまた笑いながら言うのである。
おかしなことに、私には何も恐怖はなかった。ただ、残念で悲しかった。
「これで、ラビンの死は無駄になってしまうのだろうか?
再び、多くの血が流されることになるのだろうか?」

戦争になる、と一時期皆が口にし、一種の緊張状態が続いた。
連日、テロの報道が続き、テレビに釘付けの日々だった。
しかし、日常生活においては何も変化なく、
いつもどおりの平和な日々が続き、「本当に紛争が起こっているのだろうか?」
と、危機感のない思いを抱き、日本からの
「危なくないの?大丈夫なの?テレビで報道されているよ。」
と、言う言葉に改めて、
「中東危機かあー」と、自分の置かれている状況を確認するのである。

あれから9ヶ月。
多くの血が流され、人々は悲しみ、憎しみ、怒り、そして涙した。
再び停戦へ向けての動きが出てきているが、果たしてどうなるのだろうか?
ここにいて実感することは、人々の感情は簡単には変わらないと言うことだ。
親・子供を殺され、憎悪を抱いた人々がどれほどいることか。
平和を願いながらも、排除できるものは排除したいと思う気持ちはあるだろう。
和平は遠い道のりなのかもしれない。

現に、アラブ人を野蛮人と決め、平和は望むが共存はできないとするユダヤ人。
イスラエルの地から、ユダヤ人を抹殺したいと考えるアラブ人。
この二つの決して相容れない感情が存在することも、確かなのである。

私は勿論、傍観者でしかない。
「どうして争うの?どうして人を殺すの?
どうして共存できないの?どうして憎しみ合うの?」
と言ったところで、意味はない。
ただ、平和の実現と、人々が悲しまずに生活できる日が、そして血の流されない日が、
一日でも早く訪れずことを祈るばかりである。

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