週末の惨事

週末に、危うく大惨事になりかねないことが起こった。
なんとミホはその現場周辺に近寄ろうとして近寄れず、おおいに迷惑したのだ。

8月3日金曜、1:00pm T.A.セントラルバスステーション。
シャバットを前に、家に帰る人でごった返している。
そこへ爆弾5キロを抱えたパレスチナ人の23歳の女性が登場。
入り口のガードマンに不信に思われ、逃走したが捕まる。
警察は直ちに建物の中の人を全員外へ撤去させ、バス・人・何も近寄れないようにした。
バスステーションは6階建で、どれほどの人が中にいたかを考えると大変なものである。
とにかく、バスステーションの周辺は人と車とバスでごったかえしである。
爆弾は処理され、幸い惨事には至らなかったが、もし・・・と考えるとぞっとする。
T.A.セントラルバスステーションは、よく利用するのでとても馴染みがあるのだが、
いつも疑問に思っていたことがある。
建物の中に入るには、荷物検査がある。それがあまりにもおざなりな検査なのである。
もし、私が爆弾を持っていたら、必ず建物の一番効果的な所で爆発させることができる。
毎回検査を受ける時に、
「本当にこれでいいの?もっと徹底的に検査しなくていいの?」
と、思わずにはいられない。
そんないいかげんにも思えるものだったので、ニュースを聞いて一番始めに考えたのは、
「どうやって、分かったの?」
ということと、
「でかした!君達の眼は節穴じゃなかったんだね。ごめん」
と、言うことである。
でも、何が決めてだったんだろう?
パレスチナ人の特徴とか、挙動不審とか、第六感とかが働いたのだろうか?
なんにしても、テロはどんどん一般市民を巻き込む方向へ行っている。
「テロはもうやらない」なんて宣言は、全く意味をなさないようだ。
少し間違えばミホがテロに巻き込まれていたのである。
ミホだけではない。いつ、どこで私の友達がテロに巻き込まれるか分からないのだ。

私にとってイスラエルにいるということは、覚悟ができているということ。
イスラエルに居たいから来るのであり、危険だと知っていてもそれでも居たいのだ。
何が起こっても、それは自分で選んだこと。後悔はない。
テロに巻き込まれてたとしても、パレスチナ人を恨みはしない。
ただ、その場所に居合わせただけのこと。
ある意味、この地で死ぬことも本望である。
以前読んだ新聞に、アメリカから移住してきたユダヤ人の家族のコメントがあった。
周りからは反対され、何不自由のないアメリカの生活を捨て、
あえてイスラエルに来ることを、理解してくれるものは誰もいなかった。

「もし、テロにあっても、私達は決して後悔はしないし、テロリストも恨まない。
私達はこの地に居たかったと皆に知らせたい」

危険はどこにでもある。日本でもアメリカでも。
納得して、覚悟の上で死ぬことができる、って幸せだよ。

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