キブツの改革

キブツの状況が着実に変化してきている。
多くのキブツがサラリー制を導入し始め、今後の生き残りを模索し始めた。
ボランティア制度も廃止されるだろう。
実際、現在の状況を考えるとボランティア不足で、ボランティアが来ることは見込めない。
一人二人のボランティアを受け入れるくらいなら、
いっそ廃止してしまった方が都合が良い。
私が以前いたキブツも、最後のボランティアがいなくなったと同時に廃止となった。
サラリー制の導入は、キブツの体質を大きく変えることである。
人々の意識を変えることである。
しかし、今のままの体制を維持していては、
キブツは生き残っていけないのは明らかなのだ。
生活は豊かになり、人々は都会と同じレベルの生活を求めるようになる。
キブツの建設をした初期の人々、現在80歳ぐらいの人々にとって、
この改革はとても悲しく寂しく、しかし受け入れなければならないことだ。
彼らは何もない荒地から、敵と戦いながらキブツの建設に生涯を尽くしてきた。
全ての物が共有財産であり、人々は皆家族だった。
しかし、社会は急速に変化している。
その息子たちはキブツを維持しながらも、世の中の流れに逆らうことはできない。
そして、孫たちはキブツの生活を捨てて都会の生活へと消えていく。
私のいるキブツも、最近投票が行われ、変化を求める側の勝利となった。
変革したからと言って全てがうまくいくわけではない。
多くの問題が起こるだろうし、何がどうなるかはやって見ないことにはわからない。
キブツの平均年齢は45歳くらいだったと思う。
若者がキブツに残るようなシステムと魅力が必要なのは確かである。
私がこのキブツの最後のボランティアになるかも知れないと思うと、気分は複雑である。

キブツの改革」への2件のフィードバック

  1. ちょっと昔の記事への投稿ですが、キブツの話は私も聞いています。日本の若者の農家離れとハ違いますが同じ感覚ですよね。ロシアのユダヤ人が持ち込んだキブツのシステム。いつも名前を忘れてしまうんですけど・・・ソ連でやっいた農業システムを模倣したんですよね。

    私が知っている、また出会ってきたイスラエル人でもキブツ出身の人はとても真面目で温厚で、一般的なイスラエル人と全く違う(みなじゃないですけどね)。

    KEIKOさんはキブツボランティアでイスラエルへ来られたのですか?私も現在日本から離れている日本人ですけど、ふと思うと国の伝統をこれから守っていくのはその国に来て住んでいる外国人かなって思います。日本に戻っていた時に外国人建築家が日本の木造建築の素晴らしさに魅せられて、木造建築を残そうと頑張っています。

    自国にいると自分の国の美しさ、素晴らしさって見落としがちです。また嫌な所が目に付いてしまう。

    イスラエル100周年のときにはどんな国になっているのでしょうかね?

    • そうです、コルホーズ・ソフホーズってやつですね。社会の時間に習いましたよね。あっ、やっぱりキブツニークがちょっと違うって感じられました。思想の違いなんだと思います、多くのキブツが宗教の規律から離れた生活を選んでしていることと、左よりのパレスチナとの和平派だからでしょうね。キブツという特殊な守られた枠の中で育ってきているので、汚れていないって感じでしょうか。質素・家族・集団生活・自立といった、人間生活の根本をよく理解しているように見えます。ボランティアとして滞在していた頃から、キブツの環境と人々にほれ込んでしまったんです。現在のキブツはシステムも変わって、昔のような共同生活ではなく、個人主義になったので、これからは変わっていくのかも知れません。
      この国に、独自の文化・伝統が根付くのは、これからの50年だと思います。現在のユダヤ教という宗教を基盤とした移民の集合体が、それぞれの民族の文化・伝統を取り入れ融合させて、イスラエルの文化が生まれるのではないでしょうか。国にとっては難しい選択ですが、政教分離になることが、ユダヤ人ではなくイスラエル国・イスラエル人の伝統を作っていくような気がするんです。ユダヤ人ではないよそ者のたわごとかもしれませんね。

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