愛が地球を救う?

大きなテロが先週末から続き、世界の関心が再びイスラエルに集まっている。
人間というのはいいかげんなものだ。
アフガニスタンもある程度落ち着いてしまい、映像が特別でなくなると、
爆弾テロの映像盛んなイスラエルに注目し始める。
この数ヶ月、アフガン空爆の間もテロは続いており、人々は死んでいるのだ。
そんなときには目もくれず、世界中が狂ったかのようにアフガン報道をしていた。
皮肉なものだと思う。
人がたくさん死ななければ、世界の目はそれを注目しないし、問題にもしない。
だからこそ、パレスチナは彼らの苦しみを知ってほしいために
自爆テロをし、注目を集めようとする。
アラファト議長の器量が問われる結果となった一連の自爆テロだが、
彼に以前の力があるとは思えない。
かつて、故ラビン首相と和平へ向けて歴史的握手を交わしたときの、
あのアラファト議長は、もういない。
存在しているのは、老いたかつてのテロリストであり、威厳を失った老兵である。
自爆テロの報復としてイスラエル軍は、アラファト議長のヘリポートを爆破し、
多少の腹いせをしただろうが、それが何になるというのか?
死んだ多くの若者がそんな小ざかしいことを喜ぶのだろうか?
ハイファの自爆テロで、バスにいたフィリピン人の不法労働者たちが5人死んだ。
一人は身元が確認されないと言うことだ。
彼らはユダヤ人でもなく、アラブに敵対するわけでもない人々で、巻き込まれただけだ。
想像してしまった。
いつか私に同じようなことが起こり、誰にも確認されないまま朽ちていくのだろうか・・・と。
テロはいつ誰に降りかかってもおかしくない。
誰にでも起こりうる。
私の知っている人が、友人が、巻き込まれた時、私は平気でいられるのだろうか?
それでも、テロを行っているパレスチナ人を、アラブを
友好的に考えることができるのだろうか?
そして、私にそれが起こった時、日本にいる家族はいつそれを知ることになるのだろうか?
そして、彼らはイスラエルをアラブをどう思うのだろうか?
つい、考えずにはいられなくなってしまった。

報道・映像というものは本当に危険だと思う。
それが、どれほどの真実を伝えることができるのか、私には疑問である。
一つの映像の中には、多くの物語があり、原因があり、背景があるのだ。
見たままの映像を鵜呑みにして、感情だけでこの国を考えてほしくはない。
事は、簡単ではない。
どちらが悪い・良いの問題ではないのだ。
テロは間違っている。自爆テロであれ人を殺していい権利は誰にもない。
だが、私達は考えなくてはならない。
どうして、彼らが自爆テロという行動を取るのかを・・・・
日本では、「愛」が人々を少しばかりの幸せな気分にさせているという。
生れたばかりの「愛ある子」が、悲しみの多かったこの一年に花を添えるだろう。
「愛」が地球を救わなくてはならない時が、本当に来たのかもしれない。

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