イツハク・ラビン

 

イツハク・ラビン暗殺から10年が過ぎた。
この10年間は、第2次インティファーダの勃発、多数のテロ、壁の建設、
アラファトの死、そしてガザからの撤退。
私にとっては、全てが現実味を帯びた、まさに私とイスラエルとの歴史でもある。
ラビンの追悼記念日になると、いつもイスラエルとの関係の始まりを考えてしまう。
「なぜ、自分はイスラエルに居るのか」
「なにが、こんなにも、私をイスラエルへ駆り立てたのか」
1991年に初めてイスラエルを訪れ、卒業論文を「パレスチナとイスラエル」にし、
その時初めて、外国の政治家を知った。それがイツハク・ラビンである。
その後、1995年に彼が暗殺されるまで、私はイスラエルに和平が訪れると信じていた。
ラビンの死は私にとってもショックだった。
そして、1998年に再度イスラエルの地に降りたち、こうして今にいたることを考えると、
何か因果を感じずにはいられないのである。
先日、シリアの馬鹿が、イスラエルの地図からの抹消なんてことをのたまっていたが、
ラビンの記念日には各地でイスラエルの存続が叫ばれ、ラビンの追悼がされた。
この日、私の眼に浮かぶのは、ラビン広場に集う群衆の中の、
ひとりの宗教家が掲げていた「許してくれ、残念だ」ということばである。
(ラビンは狂信的なユダヤ教徒に暗殺された)

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