追悼の日

6年前の今日、キブツの母子がレバノンから侵入したテロリストによって撃ち殺された。

そのころ、イスラエル各地では自爆テロが盛んに行われ、連日のテロ報道と、
自爆テロによる多数の死者の報道がなされ、人々はただ虚無だった。
ちょうど私は日本へ帰国しており、日本で報道されるイスラエルのニュースを、
苦い思いで聞きながら、レゲブとの関係を思案していた。
そんなある日、知人からキブツ・ハニタの誰かが、テロリストに殺されたらしい・・・・・
とのメールがあり、私は最悪の事態を想像せずにはいられなかった。
レゲブの家族なのか?私の知っている人なのか?もしやレゲブでは・・・・

レゲブに送ったメールからは、

「家族はみな大丈夫だから心配しなくていい。キブツの二人の母子が殺された。
悲劇だ・・・・・・・・しかし、これがこの国の現状なんだ。
僕達は別れた方がいいだろう。それが君のためだ、さようなら。」

必ずイスラエルに戻ってくるからと、約束をして日本へ帰った私にとっては、
キブツの誰かが殺されたことも、レゲブに別れを言い渡されたことも、
連日眠れぬ日々を送るほどの衝撃だったことを、今でも覚えている。

私は職場で殺された母子の旦那であり、父であるトゥビアと働いてる。
追悼記念日の今日、多くの人がそのときのことを語っていた。

母子は知らずに、ちょうどテロリストがキブツの周辺地域に侵入した時刻に、
車に乗ってキブツを出発した。そして、テロリスト侵入の警告がキブツでされたとき、
トゥビアは即座に母子が出発したことに不安を感じたそうだ。
そして、悲劇は起こってしまったのだ。
母子はテロリストに車を止められ、頭を打ちぬかれて殺された。
キブツから出発してほんの10分足らずの出来事だった。
その後、テロリストは他4人を撃ち殺した後、警察と軍との撃ち合いにより射殺された。
職場はキブツの高台にあり、眼下に見える国道での撃ち合いがそこから見えたという。

職場のカフェテリアに座りながら、美しい景色を眺めて、そのときのことを考えた。
いつも笑顔で穏やかで、冗談を言って笑っているトゥビアは、この追悼の日が近づくと、
険しい顔つきになり、口数も少なくなる。
彼の心中を思うと、言葉が見つからない。
トゥビアの奥さんリンは、ボランティアとしてイスラエルを訪れ、トゥビアと結婚した人だった。

いつもレゲブと車で通る国道、その道脇には母子の追悼の碑が建っている。
誰にでも、起こりえることだったのだ。
それは今でも変わらない。
先日のニュースで、前回のレバノン戦争で子供を殺された父親が、
パレスチナ・アラブ諸国との和平についての書籍を出版したということが、報道されていた。
トゥビアは一度たりとも、一言も、パレスチナ・アラブ人についての暴言を吐くことはない。
悲劇の後、彼はイスラエルから離れようとしたが、思いとどまり、イスラエルに残ることにした。

テロによって愛する人が殺されても、憎しみだけが残るのではないと、私は信じたい。
多くの犠牲者によって、そして多くの人々の悲しい思いによって、
必ずこの国に平和が訪れると信じたい。

あの時、「もう、イスラエルへは帰ってくるな」とレゲブに言われた時、
何もできない自分、無力な自分、遥かに遠い場所にいる自分が呪わしかった。
ただどうしたらいいのかわからず、泣いてばかりいた私を、方向付けてくれたのは、
母からもらった、そして友人からもらった「行って、確かめてきなさい。」という言葉だった。
今でも、決してその力強い言葉を、忘れることはできない。

そして、今、私はここにいる。
たとえ何が起ころうとも、すべては平和のための礎になると信じて、
今日も私は、ここにいるのだ。

広告

コメントを残す

コメントを投稿するには、以下のいずれかでログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中