ヨム・キプール騒動

10月8日の日没から始まった、ユダヤ教で最も重要な祭日ヨム・キプール(贖罪の日)。ヨム・キプールの始まりと同時に次の日没までの24時間の断食が始まる。新年が始まると、神は1人1人の一年の行いを調査し、10日目のヨム・キプールの日に神の審判が下るので、人々は神の審判が下るまでのあいだ、神に慈悲を請うため、食事を取らずに24時間祈り続ける・・・・・というユダヤ教でもっとも神聖な日である。この日は、空港も乗り物も店も何もかも、閉まってしまう。しかし、イスラエルにいる国民全てが、敬虔なユダヤ教徒ではない昨今は、アラブ人だけでなく、アンチ宗教のユダヤ人など、車に乗って普通の生活を送っている。そこで、問題が起きてくる。ある狂信的なユダヤ教徒たちにとって、この神聖かつ重要な日に、祈りもしないで、車に乗っているとは言語道断、よって制裁してくれる・・・という意気込みで、子供達が走っている車に向かって、石を投げるのである。この行為が近年ヨム・キプールになると、あちらこちらで見られるようになった。

アッコ(Akko)は北の港町で、アラブの旧市街が残り、バハーイ教の聖地であり、古くからアラブ人とユダヤ人の混合の町である。ユダヤ人にラマダンが無関係と同じく、アラブ人にとってもヨム・キプールは無関係。車に乗ろうと、騒ごうと、知ったことではない。しかし、狂信的なユダヤ人には、アラブ人の行動は目障りで蟲に触るので、嫌がらせで石を投げるようになる。この数年は小さないざこざが毎年ヨム・キプールにはあったのだが、今年は双方の怒りが爆発してしまったようだ。どちらが先というのは知らないが、アラブ人もわざとユダヤ人を逆撫でするような行動をとったらしく、怒った狂信的なユダヤ人たちとの乱闘が始まってしまい、警察が介入することとなった。ヨム・キプールの一日は、テレビもラジオも止まるので、ヨム・キプールが終わった夜のニュースで、私達は始めてアッコで乱闘騒ぎがあったことを知った。沈静化したが、もちろん双方に遺恨が残っているのは明らかで、いつまた爆発するかわからない緊張状態といえるだろう。

アッコだけでなく、私の住む地域でも、子供達が走っている車に石を投げているそうだ。救急車にも石をなげるという話を聞くと、子供の遊びの域を出ている。問題は警察が石を投げる者を取り締まることなく、野放しにしておくことと、これらの件に対して国も政治も触れないということである。いわゆる、タブーなのである。ユダヤ人のユダヤ教の国と、看板をうっているだけに、この最も重要で神聖なヨム・キプールを、法律や規制で汚したくないのである。アラブ人も一緒に生活しているイスラエルに、ヨム・キプールに車に乗ってはいけないという法律はない。しかし、石を投げたものを取り締まる法律もない。石を投げているのは名目上、神聖なる神の日のためなのである。そんなもの達を罰する規則を作るのは、タブーなのである。

ここに、私はこの国の最大かつ、解決できないジレンマを見る。政治と宗教を切り離すことなく、ユダヤ教にのっとった法律と、近代民主国家としての法律が混在し、アラブ人とユダヤ人の共存が混在し、狂信的なユダヤ人とアンチ宗教のユダヤ人が混在する。宗教と国を分離しないかぎり、ヨム・キプールの騒動は治まることはなく、いつかはユダヤ人同士の争いにも発展するであろう。国家のアイデンティティーが「ユダヤ教」であることによって、建国したイスラエルは、ソ連の崩壊によるロシア人の大量移入、ユダヤ人以外の民族の同化、そして、新世代の若者達の無宗教化などによって、国家のアイデンティティが崩れようとしているように見える。政教分離がこの国で実現することは99%、夢に近いお話だと思う。しかし、そこにイスラエルという国が存在することも、和平への鍵もあるように思えるのである。

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