燕の話

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珍しい春の嵐が過ぎ、いつもの暑さが戻ってきたイスラエル。

過ぎ越しの祭りペサハを終え、ショアー追悼日、戦死者追悼日、独立記念日が続き、愛国とユダヤ民族の意識が最高潮に高まる時期がやってきました。そこいらじゅうでダビデの国旗がはためき、街ではBBQの相談が行われていることでしょう。

さて、めでたく4月から無職となった私は身も心も自由となり、そして、日本への帰省を間近に控えて、日がな一日をあれやこれやと妄想しながら過ごす引きこもりと化してております。そして、自由の身になると必ず手に取る言葉があります。

「自由は地獄の門をくぐる。不安、懊悩、悲痛、慟哭に立たされているものである。すべて自らの責任に於いてなされるものだからである。人が真実大いなる限定を、大いなる不自由を見出すのも、自由の中に於いてである。自由は必ず地獄の中をさまよい、遂に天国へ到り得ぬ悲しい魂に充たされている。」

坂口安吾のエッセイ「私の小説」(昭和22年)の一節です。この言葉が非常に身に沁みるのです。自由とはなんぞや、って奥深いです。これはちょっとネガティブな極論かもしれませんね。マゾか!って感じですね。でも、これが私にとっての自由に間違いはないのです。

とにかく、自由に痛みはつきものです。時は必ず満ると信じて、今はモヤモヤとして過ごし、自分ご褒美として、タマとの蜜月を満喫すると決心したり、しなかったりの日々・・

先日、季節外れの大雨の際に、燕の夫婦がせっせと車庫に作っていた巣が、壁の雨水によって崩れ落ちてしまいました。やっと二羽が羽を休める大きさになり、夜にこっそり二羽の姿を見ることが心の平安だったですが、非常に残念でなりません。天気も回復し、壁も乾いた今日、しばらく姿を見せなかった燕が崩れた巣の様子を見にきていました。あきらめて他の場所に作るかもしれませんね。本当に残念です・・・

こんな、とりとめのない雑記で気分を紛らわし、4月25日の日本行が待ち遠しい、今日この頃です。

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