Giladの帰還

2011年10月18日は、イスラエル史の重要な一日となった。5年半ハマスに拉致監禁されていたGilad Shalitが生きて戻ってきたのだ。凶悪テロ犯罪者を含む1000人のパレスチナ犯罪者の釈放と引き換え、というトンでもない要求にネタニヤフ首相が合意したという報道がされたのが10月12日。あのネタニヤフ首相が!?と、信じられない気持ちだったが、現在のエジプトを含むイスラム国の状況変化、パレスチナ政府の不安定要因などを考え、今を逃してはGilad を救う道は絶たれる可能性がある、と判断したネタニヤフ首相の英断だった。

Gilad解放の一日は、イスラエル国民全てが喜びに満たされた最大のドラマとなり、解放活動を続けてきた父Noamとの抱擁に歓喜せずにはいられなかった。
http://www.ynet.co.il/articles/0,7340,L-4136532,00.html

5年間監禁状態だった苦しみに耐えたGiladもさることながら、私はこの5年間ずっとGilad解放のためにイスラエル政府・各国政府へ働きかけ、活動を続けてきたGiladの父Noamの人柄と忍耐、そしてその精神力の強さに敬意を表したい。人前で決して乱れることなく、いつも冷静さを保ち、息子のために戦う姿。そんなNoamを私達は見続けてきた。どれほどの苦しみと怒りを内に秘めていたことだろう。

今回の捕虜交換によって、今後再び兵士が拉致される懸念や、解放されたテロリストによってテロが増えるなど懸念されているが、それはそれ、今後の警戒を怠らなければいい。Gilad が解放された後の調査では、80%以上の国民がネタニヤフ首相の決断を支持している。戦場で負傷した兵士がいたら、後退はせず前進して救出するというイスラエルの精神が証明されたGiladの解放。これでこそ、兵士達も体を張って国を守れるというものだろう。

また、忘れてならないのは、爆弾テロで家族を失った人々が、そのテロ犯人の釈放に無念と怒りを込めて耐えているということ。Giladはそんな多くの人々の思いを抱えて今後生きていかなければならない。解放された喜びを噛み締めた後は、自らの自由と引き換えにしたものの重圧に苦しむかも知れない。でも、それを乗り越え、生きて戻ってきて良かったと思える人生を歩んでほしいと心から願う。

今朝の報道でみた私服のGiladは、ようやく緊張が和らいだ表情をしていて、なんだかほっとした。今後の彼のスケジュールは、専門家の精神鑑定などを受け、徐々に日常生活に戻っていくそうだ。

今までのGilad 関連ポスト
2007.6.29 拉致された兵士の行方
2008.7.16 イスラエル捕虜帰還
2008.7.17 本当の戦争終結
2009.1.27 捕虜か自爆か?
2009.10.2 イスラエル兵捕虜のビデオ
2009.12.21 近いようで遠い希望 
2010.7.4  捕虜解放への大行進

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本当の戦争終結

二人のイスラエル兵が戻ってきたことで、
2006年の第2次レバノン戦争は、本当の意味での終結を迎えた。
そして、ヒズボラとの紛争にも一区切りがついた。

改めて、返還された兵士を取り巻く今までの状況を考えてみたい。
事の始まりは、1986年、PLOを攻撃する作戦で砲弾を受けた戦闘機パイロット
Ron Arad が、レバノン上空で緊急離脱し、ヒズボラの捕虜となる。
イスラエルはRon Arad を救うために、交渉してきたが生死すらわからぬ状態で、
近年にいたる。(ヒズボラの報告では、1998年に死亡したといわれてる)

イスラエル側は、Ron Arad との取引の切り札として、レバノンで英雄視されている
イスラエル人家族を殺害したテロリストSamir Kuntar を拘置していた。

2006年、ヒズボラはSamir Kuntar を取り戻すための手段として、
レバノン国境を警備していたタンクを襲撃し、二人のイスラエル兵を拉致する。
(この時すでに二人の兵士は重症を負っており、生存の可能性は薄かった。)
イスラエル世論は、同時期にハマスにGilad Shalit を拉致されていたことによって、
追い討ちをかけるように戦争ムードが高まり、第2次レバノン戦争へと発展していく。

イスラエルの大義名分は、拉致された兵士を取り戻すためであった。
しかし、160名の死者をだし、兵士を取り戻すこともできず、戦争は停戦された。
そして、昨日の捕虜交換まで2年間を有したのである。

戦闘機パイロットRon Arad と、レバノンの英雄Samir Kuntar.
この二人を取り戻すために、双方ともに多すぎる犠牲を払った。
昨日、レバノンはSamir Kuntar の釈放・帰国を、お祭り騒ぎで祝っていた。
一方、イスラエルは未だRon Arad  の消息はつかめず、二人の兵士の棺を受け取り、
戦争へと突き進んだ代償を、苦々しい思いで懐古していた。
完全なるイスラエルの敗北である。

昨日の交渉で、イスラエル側にいたヒズボラの捕虜は全て釈放された。
そして、全ての遺体も返還された。
ヒズボラにとって、今のところイスラエルと紛争を起こす要因はなくなった。

こうして改めて今までの経過を考えても、戦争というもののパラドックスは、
理解しようにも理解できないものである。
そして、国民感情によって、戦争への引き金は簡単に引けるのだ、と。
2006年のあの時、戦争へと走らず、レバノン側の捕虜と二人の兵士を交換していたなら、
多くの人々の命が、無駄に失われることはなかったのだ。
あの時、イスラエル国民は報復と血を欲していた。
非常に悔やまれる。
なぜ、あの時・・・・戦争となってしまったのか?
イスラエル国民は、果たして間違った戦争から何かを学ぶことは出来たのだろうか?

今日は、二人の帰還した兵士の葬儀が行われた。
二人の冥福をココロから祈りたい。

イスラエル 捕虜帰還

イスラエル時間9:40、二人のイスラエル兵士は黒い箱に入れられて帰ってきた。
生存が確認されていなかった時点で、生きている姿を見ることは難しいだろうと、
わかっていたものの、やはり、真っ黒な二つの棺が並べられた時はつらかった。
それでも、イスラエルへ帰ってくることができ、家族の下へ戻ることができたのだ。
イスラエル側は、ヒズボラへ5人の捕虜と200人の遺体を引き渡した。
(遺体を保存しておくことにも驚いたが・・・・全てが取引の対象になるようだ)

2年間待った親族の様子は、比較的静で、失望と安堵の様子が伺えた。
生きて帰ってくる事がもちろん一番望ましいことであるが、
それがかなわねなら、せめて体だけでも・・という気持ちはよくわかる。
そして、今日、彼らの長く続いた戦争は終結した。

そして、同じ時期にハマスによって拉致されたGilad Shalitは、
現在もまだハマスに捕らえられたままなのである。
彼はまだ生きている。
二人の棺に入れられた兵士の帰還をみて、彼の家族はどんなにも胸が痛むことだろう。
Gilad Shalitはイスラエルへ、生きて帰ってこなければならない人である。
このヒズボラとの捕虜交換合意が、ハマスとの合意に何かしらの進展を与えるだろか?
棺の帰還はみたくない・・・・と、誰もが思ったに違いない。
今日は、イスラエルにとって、辛く悲しいそして、新たな始まりの一日になった。

イスラエル 捕虜交換合意

2006年の第2次レバノン戦争から丸2年たち、
ようやくヒズボラに拉致された、二人のイスラエル兵の帰還が実現となりそうだ。

イスラエルはヒズボラとの捕虜交換合意で、
5人のテロリストをヒズボラに引き渡すことになった。
そのうち一人は、大物のテロリストである。
拉致されたイスラエル兵を取り戻すため、民間の活動は2年間続いていた。
多くの場所や車には、彼らの顔が描かれたステッカーがはってあり、
時には有志が北部をマラソンして、活動を訴えるということもした。
そうした活動が実りをみせ、数日後には二人の兵士が帰還する。

現時点の情報では、生存が100%確認されていないことが気がかりだが、
彼らが帰還する最後まで、希望を捨てないで待つことが私達にできる唯一のことだ。

ハマスに拉致された兵士 Gilad Shalit は、ハマスとの停戦前に、
ハマスメンバー400人釈放という捕虜交換条件を、イスラエル側が合意せず、
停戦中の現時点では、何も進展することなく日々が過ぎている。

イスラエル兵1人と400人のテロリストを天秤にかけ、
自分が決断しなければならないとしたら、果たして私はどちらをとるだろうか?
レゲヴは迷うことなく、イスラエル兵士を救うべきだと言う。
レゲヴの姉弟達は、400人と1人では話にならないといい、
このような卑劣なハマスとの合意は絶対にするべきではないという。

確かに、ハマスの要求は度を越してる。
それだけ、イスラエル兵の捕虜は利用価値があるということだ。
もし、イスラエル側がハマスの要求を認めれば、
今後も同じことが繰り返される可能性が高くなる。
どんな犠牲を払っても捕虜を帰還させるべき、というレゲヴの意見もわかるが、
やはり、今のハマスの要求は受け入れがたいものである。
Gilad Shalitの弁護団は、兵士返還の進展がないまま、
イスラエルが停戦したことに対して、強く非難していた。
しかし、停戦によって連日砲弾を受けていた地域は、静けさを取り戻したのも確かだ。

拉致された兵士の返還に、国は積極的に取り組むべきであると思う。
国のために戦い、捕虜となった兵士を救うために、国ができることは何なのか?
そして、国民はどうあるべきなのか?
1人の捕虜となった若い兵士に、明日への希望を渡してあげたいと感じるのは、
兵士の帰還を願う、多くの人々の気持ちである。

兵士の勲章

アーミーバッジ レゲブのバッジ

先日、レゲブに、イスラエル軍から名誉バッジが届いた。
 これは、2006年の第二次レバノン戦争に参加した兵士全員に送られるもので、
 国を守るために戦った兵士への勲章のようなものだ。
 
 幸いにもレゲブは戦線に行くことはなく、国境警備をしていたので、
 5週間の徴兵期間は、友人の兵士達との交流となり、それほど危険にあわずにすんだ。
 始めてもらう戦争参加のバッジを見ながら、レゲブと私はそのときのことを語り合い、
 レゲブにバッジをつけさせたり、二人で笑って時を過ごしたが、
 このバッジをもらっても、笑えない人々が多くいることだろうと思う。
 
 あの戦争は、明らかに無意味な戦争だった。
 その無意味な戦争に、多くの命が奪われた。
 
 兵士にとって、これらのバッジは名誉であり、勲章だ。
 レゲブは、ほかに二つのバッジを持っている。
 一つは、パラシュート部隊の証である、翼とパラシュート。
 もう一つは、彼のユニットのシンボルである、剣と翼。
 そこに、もう一つ、兵士として戦争に参加した名誉が与えられた。
 
 レゲブは笑って、
 「こんなもの名誉でも何でもない、ク*みたいなもんだ。」
 というが、やはり、名誉だと私は思う。
 
 約6割の兵士は、逃げて、雲隠れし、徴兵逃れをしていた。
 実際、レゲブの弟も、徴兵逃れをして、逃げていた。
 私もその当時、レゲブに徴兵に行かないでほしい、とたのんだが、
 レゲブは
 「誰かがやらなくてはいけない」
 といって、子供のいる弟には徴兵に来ないで、隠れていろといい、自分は参加した。
 
 もうすぐ、5月7日に戦死者追悼記念日を迎える。
 イスラエルは建国60年の祭典を目前に、この国のために戦い命を落とした兵士達を弔う。
 
 無意味なものなど、ないのかも知れない。
 何を得ることもない馬鹿げた戦争でも、一人ひとりの兵士達は守るものがあるから戦うのだ。
 レゲブには、それを誇りに思ってほしい。
 戦死した人々の冥福を祈り、そして、レバノンに拉致された3人の兵士の帰還を祈りたい。

一年の追憶

戦争体験をしてから、一年が過ぎた。
月並みだが、長かったような、短かったような気分である。
停戦となってから今日まで、まったく普段と変わらぬ、
平凡な、まるで何事もなかったかのような、そんな生活を続けてきた。

停戦直前の爆弾で負傷したミハエルは、2度の手術を受け、
ほぼ一年たって仕事に復帰している。彼にとっては、長い戦争であり、
一生、負傷した片足を引きずる生活と戦っていかなければならない。

レバノンでは、一年前の戦争の勝利を記念して、結婚式が盛大に行われているそうだ。
しかし、一方では、再び起こるであろう戦争を危惧して、観光客がくることもなく、
出国する人々も後をたたず、ヒズボラの宣伝ポスターだけが町に増えているという。

オルマルト首相は、今年の夏に戦争を仕掛けることはないと言明したが、
彼自身、未だに戦争責任問題から、逃げ回っている身で、そんな政治家の言うことに、
何一つ確信を持てるものはない。

もし、戦争が再び起こるとすれば、次は確実にシリアが絡んでくるので、
以前のように、タマと一緒にレゲブの帰りを待つ、などと流暢なことは言っていられないだろう。
その時、私はどうするのだろう?
ただひとつ望むことは、レゲブが戦場に行くことがないように、ということだけである。

イスラエルの戦争責任

戦争責任が問われている。
昨年の夏の第二次レバノン戦争は、誰の眼から見てみもイスラエル側の敗北だった。
戦争の引き金となった、拉致されたイスラエル兵士は一人も戻らず、
未だ彼らの安否はわからないまま。
そして、多くの無駄な命が、無能な政治家たちによって、帰らぬものとなった。

シャロンの突然の病により、たなぼたで政権のトップとなったオルメルトと、
まったく場違いの国防省となったペレツの二人は、戦争に対しての経験がまったくない。
現在の政権以前までは、首相と国防省は軍人上がりがなっていた。シャロンはその典型だ。
建国以来59年間、非常事態宣言が出され続けているこの国では、
戦争経験豊富な指導者が選ばれることが通例だった。


しかし現在の政権は、シャロンが新政党を立ち上げ、総選挙直前に病に倒れてしまったため、
シャロン人気で政権を得た、カディーマ政党の2番手だったオルメルトが、
たまたま首相になってしまった矢先の、レバノンとの戦争だった。
ヒズボラはもちろんすべてを踏まえての作戦だったであろう。

現首相のオルメルトと国防省のペレツの二人の無能さは戦争時から明らかで、
オムメルトは戦争開戦の宣言で聖書を読み、「神よ、神よ」とのたまった。
(今、思い出しただけでも腹が立つ)
この二人の無能さが、兵士を取り戻すこともできず、いたずらに戦闘を長引かせ、
多くのレバノン人を爆撃し、多くの兵士たちが無駄死にしたことは、誰の眼からもあきらかだ。
軍事経験のない彼らが、軍のトップの言いなりになっていたことも事実だが、
なぜシモンペレスのような経験者に意見をきかなったのか?
聞く耳と人の命を優先する心さえあれば、国の指導者が軍事経験豊富でなくともよい、
と私は考える。

先日、戦争責任を追及する調査委員会が中間報告を発表し、
オルメルトとペレツを厳しく非難した。
世論は彼らの辞任を要求しているが、一向にその兆しは見えない。
自分に責任はないと居直っている。政治家とはこんなものなのだ。
一国の首相として、国防省として、人民の命を奪い、自分の無能さを認めることもできず、
その責任を取ることもできない彼らに、もはや国民の支持はない。
彼らを選んだのは国民とはいえ、戦争に対する経験不足を考慮してはいなかった。
これも平和ボケのひとつなのだろうか。

歴史にもしもはないが、もし、シャロン前首相が病に伏していなかったら、
第二次レバノン戦争はなかっただろう。
調査委員会の報告では、唯一シモン ペレスのみが戦争に対して慎重であるべきだと、
提言していたことが記されている。
ノーベル平和賞を受け、幾度の戦争の指揮官であった彼の意見を重視しなかったことは、
今となっては心から悔やまれる。