光明に満ちる2017

Year of the Rooster2017

「一日、生きることは、一歩、進むことでありたい。」
(by 湯川秀樹)

40歳を過ぎてからの新たな挑戦、そして、悲しい別れ。
2016年は、人生のめぐりあわせについて問う一年でした。

酉年の鶏は、闇を祓い、光明を招く神様のお使いだそうです。
また、「富や福をとりこむ」縁起のよい干支です。
2017年は、光満ち、行く先を照らす良い年になることを祈ります。

今年もありがとうございました。
皆様にとっても、2017年が光のあふるる年でありますように。

ブログ主 keiko

Go Japan プロジェクト

5777年目のユダヤ歴新年を無事迎え、本日は、断食して粛々とお祈りして、神さんからの通信簿を受け取るヨム・キプール(贖罪日)のイスラエル。この日は、交通網が全ストップの為、道路は子供たちの自転車場と化し、なんとも平和な一日となります。

さて、ダラダラと時間をかけて進めていたプロジェクトが、ようやく形となったので、ご報告させていただきます。

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その名は、GO JAPAN。( www.gojapan.co.il
私とヤナが共同経営する「イスラエルで日本を発見する」をコンセプトとした、情報サイトと日本の商品を販売するオンラインショップです。そして、Hod HaSharon(ホッドァシャロン)という街に、小さなお店もオープンしました。

このプロジェクトの始まりは2年近く前にさかのぼるのですが、その時は私も他の仕事をしていたり、あれやこれやと理由があって停滞したり、で、結局どうするんだ?!と葛藤したりと、一年半ほどは無駄に時間が過ぎていくばかり。そして、この期間は家族や周りの環境も含め、心身ともに非常に厳しい時間でした。否、この時間があったから、こうしてプロジェクトが始動したとも言えますね。前進するしか、道がなかったのですから・・・

もちろん、サイト作成から店のオープンまで、経営経験のないド素人の私とヤナに、無理やり、考える余地もないほどに、強引に道を作ってくれた人がいたからこそ、今があると言えます。最高のご縁をいただいたことに、心から感謝です。

10月22日、テルアビブ郊外の街に正式に店をオープンし、少しづつですがお客さんも来てくれるようになりました。来てくれるみんな、日本が大好きなイスラエル人です。もう常連さんもできました。なんだかわからない店に、アジア人が一人座っているなんて、きっと入りづらいでしょうね。

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(photo by Nitzan)

でも、日本が大好きな人、何の店がわからないけど興味本位で入る人、素敵なものが目に留まって入ってくる人、単にアジア人と話がしたい人、来てくれる人は様々ですが、皆、一度お店に入ったら、最高の笑顔でまた来てくれる人達ばかりです。そして、日本に関わる専門店ができて、日本人といつでも話ができる場所ができて、最高に嬉しいと言ってくれます。

日本の伝統工芸品、デザインもの、インテリア、食品、オタクものも含め、ジャンルを問わず日本の良いものを、イスラエルに紹介していきます。そして、GO JAPANがイスラエルと日本の架け橋の一つなることを野望に、これからも邁進していきますよ。

1156  Japan Premium – www.japanpremium.co.il

ちなみに、共同経営者のヤナは、日本の国費留学生として日本で勉学した経験もある、日本を愛してやまない才色兼備な女性。結婚・妊娠・出産で大忙しな中、プロジェクトに尽力してくれています。(只今、イスラエル人団体を引き連れ、ガイド役として日本旅行中。)

そして私もイスラエル歴25年、ここ数年はかれ落ち葉で、もうイスラエルへの気持ちの高まりはないと思っていましたが、ご縁を得て発憤興起し、第三形態へ突入です。結局は、イスラエルと日本の為に何かしたいという気持ちを、どんなに腐っても、捨てることができなかったという事です。今は、毎日来てくれるお客さんと、日本の話をし、これからの話をすることが、日々の糧となっています。

プロジェクトはまだ始動したばかり。商品販売だけでなく、イスラエルと日本の交流の為に、これから様々な活動をしていきます。乞うご期待!
テルアビブからは少し遠いですが、イスラエルに来る機会のある方、この地域に来るついでの方、いつでもお声をかけてくださいね。

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・・・そんな、レゲヴも私も、タマを失った空虚をスポーツと仕事で必死に埋めようとしている、秋の風感じる今日この頃です。

追伸:
今までコメント欄はオープンにしていたのですが、心ないテキストテロが始まった為、コメントのセキュリティーを強化せざる得なくなりました。日本で不特定多数のイベントに出て、ツイートしたのが原因かもしれません。非常に残念なことです。このご時世、アンチも沸かずに、ブログを続けてこれたことが奇跡だったのでしょうね。今までコメントしていただいた皆さん、本当にありがとうございました。

タマの安楽死

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2016年8月11日 17時 タマを安楽死させました。

再検査だけして、願わくば問題解決の薬をもらって、帰宅するはずでした。待合室でも、もう少し具合がよくなったら、シャンプーしてあげよう、とレゲヴと話をしていたばかりでした。それが、永遠の別れを私たちが下さなければならない事態になるとは、想像もしていませんでした。

タマの様子に変調が出たのは7月20日。寝ているときに大量の尿失禁が始まる。
7月25日、獣医へ行くが、外見は健康的、痛みもなさそう、老犬だから仕方がない、と言われる。尿をリトマス試験紙で調べ、ひとまず抗生物質を10日間与えることに。

この間、犬用おしめ、おしっこパッドの購入。イスラエルには老犬の介護用品などない為、急遽、日本からマナーベルト、おしっこシートなど、必要なものを取り寄せる。
タマはおしめを嫌がらず、されるがままにおしめを装着させられている。愛おしいタマ。

しかし、抗生物質を終了してもタマの尿失禁は直らず、食事、嘔吐を繰り返し、その後一切の食事をとらず。しかし、散歩とウンチはいつも通り。

8月8日、友人の紹介してくれた獣医へ行き、エコーとレントゲン検査をしてもらう。エコーで腫瘍があることが判明するが、とりあえず尿を採取し、尿検査の結果を数日待つことに。

翌日、獣医から連絡があり、エコーの専門家から再検査してもらうことを提案され、8月11日に再検査を予約。

8月11日、タマは検査台に乗せられると、ブルブルと震え始める。レゲヴと私に触られながらエコー開始。専門家の明細なエコー画像をみるだけで、タマの体の中が尋常ではない様子を理解する。説明はなくもそれを感じた私は、すでに半号泣き状態。

エコー検査が終了し、専門家が一言「最悪の状態です。残念だが、どうすることもできない。」
同席していた獣医の説明によると「数日前に検査した時よりも数倍に腫瘍が大きくなり、広範囲に広がっている。超悪性の腫瘍(がん)で手の施しようがない。できることは、苦しみを早く終わらせてあげることよ」

レゲヴ「なら、今すぐ楽にしてあげてくれ」

私は、レゲヴの言葉を聞くまで、何が会話されているのかも、完全には理解していませんでした。そして、レゲヴの言葉によって、すべてを理解し、泣き崩れていました。

それは、レゲヴにとっても同じでした。即決したレゲヴも泣いていたのです。

私が安楽死に戸惑いを隠せないでいると、獣医が個室へ連れていき、「Keiko, あなたたちの選択は間違っていないのよ、最善の選択なのよ。タマにはもう苦しみしか残されていないのだから。」
私は繰り返し獣医へ「タマは苦しんでいたの?苦しいの?辛いの?」
獣医「相当に苦しいはずよ」

私はもう何も言うことができませんでした。そして、タマが永遠の眠りにつくまで一緒にいました。気持ちの整理も何もできぬまま、タマとの最後の日を迎えてしまったこと、こんな最後をタマに与えてしまったこと、そして心に残る一抹の疑問‐安楽死。

私もレゲヴも言葉にできない気持ちを抱えて、タマのハーネスだけを持っての、放心状態での帰宅でした。その日は、お互いがタマの話題に触れることなく、それぞれが無言で心の整理をしていました。時折、深夜、レゲヴの嗚咽が聞こえていました。

タマのベッドがない部屋、タマの足音が聞こえない部屋、声をかけるタマのいない部屋、散歩をする必要のない朝。タマの迎えがない帰宅・・すべてが、受け入れがたい現実でした。

一週間が過ぎ、ようやく私たち夫婦はタマのいない生活になじんできたように思います。結婚してから13年間、タマはずっと私たちと一緒でした(ブログ「タマレ」参照)。まだ、タマとの思い出話はできないけれど、いつか、笑ってタマの思い出を語れる日が来るはずです。

タマ、ありがとう。そして、ごめん。

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2016 上半期まとめ

気付けば、天気予報など全く無意味な季節になっていたイスラエル。これからの2か月、暑いか、もっと暑いの違いしかない毎日を覚悟しなければなりません。

さて、すでにブログの役割をしていない当ブログですが、UKのEU離脱という受験生必須課題と共に、忘備録として上半期のまとめをしたいと思います。

2016年前半は、精神的に厳しい時期が続きました。大病を患った友人から聞くところによると、病気になる7・8年前に過度のストレスを得えいたというので、だとすれば、私は確実に2024年ごろに病気になる自信があるほど、精神的に追い詰められた上半期でした。

仕事、新プロジェクトの停滞、夫婦問題、レゲヴの怪我、愛犬の病気。そんな、超・普通の諸事情に悩み、傷つき、葛藤した毎日。先の見えない不安から、己の無能さと無力さを思い知り、ただただ、苦しい時間を過ごしていた4か月。そして、上半期の終わった今、ようやく、40過ぎからのゼロのスタートが、本格的に始まろうとしています。

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縁あって、一年前から取り組み始めたイスラエルと日本を繋ぐビジネスプロジェクトが、ここ一か月で急速に動き始めました。これについては、近々本格始動するときに、改めて記載したいと思います

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イスラエル事情としては、あの、軍事経験も何もない極右リーベルマンの防衛大臣就任は、ドリフターズ的に「ダメだこりゃ」の一言に尽きます。そして、先月起きた、テルアビブで最も注目されている観光スポットSaronaでの銃撃テロにおいては、同日の午後、同場所にいたのでショックではあれ、いづれは起きたであろうことなので、「日常を続けること、それがテロへの唯一の抵抗」を徹底するしかないです。テロはすでにイスラエルだけでなく、世界中で起き、今日、偶然その場に居合わせたとしても、不思議ではなくなっているのですから・・

なお、上半期のまとめ最後に、私の恩師の訃報を記録しておきます。小学校の校長先生であり、私の人生に大きな影響を与えてくれた人物でした。博識で、お酒好きで、日本へ帰国する時には、必ず会って近況報告をしていました。そして最後には「先生、また来年!」「早く帰ってこい!俺がまだ生きていたら、また飲もうや」と、笑って別れていました。仕方がないことですが、残念です。

「一期一会」
今この時、その人との時間を、大切にして生きたいと思う、今日この頃です。

DSCF6448 (2012年5月)

こうして、繋ぐもの、帰国する理由が、少なくなっていくのか・・
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元気に伸びる2016

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光陰矢の如し、あっという間に一年も終わり。

新しいことに挑戦するという期待を抱いた2015年でしたが、
進んだと思ってはせき止められ、悩み、葛藤する・・
そんな、停滞してばかりの一年でした。

申年には、草木が伸び、成熟するという意味があるそうです。
また、サルは魔が去るとゴロ合わせされ、邪気を払ってくれる力強い干支です。
(墨絵は、伊藤若冲のお猿さんを真似してみました。)

レゲヴやタマの不調、私の停滞と、パッとしなかった2015年を振り返らず、
元気に邪気を払い、運を呼び込んで、どんどん伸びていく2016年を目指します。

今年もありがとうございました。
皆さまにとっても、2016年が伸びやかな年でありますように。

ブログ主 keiko

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サインフィルドの初イスラエル公演

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ジェリー・サインフィルドの初イスラエル公演に行ってきました。

チケットは前宣伝なしで発売され、瞬殺完売。その後、追加公演が広報されると、レゲヴはPC前に陣取り、秒速クリックにてチケット購入に成功。これも瞬殺完売により、2度目の追加公演が決定、がしかし、またもや瞬殺完売により、3度目の追加公演が決定。結局、4回の公演となり、話題を盛りに盛ったスーパーセレブの初イスラエル公演となったのでした。

ジェリー・サインフィルドは日本人には馴染みが少ないですが、世界的に超有名なコメディアンです。彼がユダヤ人ということもあり、イスラエルでもスーパーセレブの一人。もちろん、レゲヴはすでに何十回もみた「サインフィルド(となりのサインフィルド)」のDVDを、今でも大笑いで見ています。

さて、私はというと、日本では知る由もなく、正直、言葉の壁もあり、アメリカンジョーク、ユダヤジョークなど、何が面白いのか全くわかりませんでしたが、今は面白いときもあるという感じです。そんな私が瞬殺完売の公演に行くのは、もったいないのかもしれませんね。

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会場はバスケットのマカビーテルアビブのホームスタジアム。(ちなみに、今シーズンのマカビーはトップ16にも入れないという、歴史的敗退をしてズタボロです。)
公演が始まるまでは、フランクシナトラの音楽が流れ、気分はニューヨーク、そしてクリスマス。

さぁ、サインフィルドの登場とともに大喝采です。あのTVで聞きなれたサインフィルドのパフォーマンスで会場はドッカンドッカン盛り上がります。イスラエルを笑いにしたり、ユダヤ人を笑いにしたり、デジタル社会を笑いにしたり、そして、彼自身の妻と子供との生活を笑いしたり、一時間以上を質問タイムも交えて、最高のパフォーマンスを披露してくれました。

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会場にはTVでおなじみのタレントや政治家などのイスラエル有名人も多く、それも含めて見ごたえがあり、レゲヴも大喜びでした。でも、公演が終わって感想を聞いてみると、サインフィルドオタクのレゲヴには、YouTubeで見て知っている内容の話もあったそうです。デジタル社会というのも、パフォーマーにとっては難しいものですね。

そして、サインフィルドが大好きなレゲヴのプチ情報としては、サインフィルドが若いころに、近くのキブツでボランティアをしたことがある、というもの。なんだか、それだけでサインフィルドが良い人に思えてくるのが不思議です。

サインフィルドの公演とフランクシナトラの音楽で、久々に歳の瀬気分を感じた、青空広がる今日この頃です。

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イダン・ライヘル日本ツアーともろもろ

気が付けば、イスラエルはいつのまにやら秋の風。なんとも気持ちの良い日々が続いています。

まずは、Idan Raichel Project(イダン・ライヒェルプロジェクト ) Japan Tour 2015のお知らせ。CS2200109-02A-BIG

我が地元・新潟市を皮切りに、12月3日から全国8か所(新潟、神奈川、神戸、大阪、名古屋、京都、東京)のツアーです。
イスラエルでは大スターなので、知らない人はいないのですが、日本ではどれほどなのでしょうか?イスラエル・コスメで有名なSABONがBGM使用しているので、知っている方もいるかもしれませんね。トレードマークのドレッドヘアーを丸坊主に変え、渋さを増したイダン・ライヒェルに注目です。

2002年の衝撃のデビューから13年。私にとってはデビュー曲「Boee」が彼の素晴らしさをすべて物語ります。是非、イスラエルのカリスマ大スターの音楽を体験してみて下さいね。
Idan Raichel Project Japan Tour 2015:http://www.min-on.or.jp/play/detail_11655.html

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続 燕の話

イスラエルへの帰国は、飛行機の中までもがイスラエル汁たっぷりの混沌から始まります。

テルアビブ行の12時間、私の後ろ座席には宗教家の家族が座り、3人の子供は泣き続け、怒るイスラエル人(おじさん他)、擁護するイスラエル人(おばさん一人)、周りで立ち上がって騒動を見物するイスラエル人(全員)、ヒステリックに泣き叫ぶ母親と開き直る父親、そんなイスラエル人の騒ぎに翻弄される韓国人アテンダント、まさにイスラエルの縮図を見るような12時間の拷問フライトでした。

あーイスラエル、これがイスラエル、悲しきかなイスラエル。

さて、帰国してしまったことを憂いても仕方ないので、住めば都と割り切り、話を進めましょう。前回、大雨で崩れてしまった燕の巣ですが、私が日本に帰国している間に、燕の夫婦が巣作りを再開していました。(レゲヴ撮影)

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出来上がった巣は中が見えないへちま型。耳を澄ませても子燕たちがいるのかわかりませんが、毎日、2羽が忙しそうに飛びまわています。一度は崩れた巣の場所に、再び巣作りをした燕夫婦を見るにつけ、自然界は強く不思議だ、となぜか感動してしまうおセンチな私。

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一か月の日本滞在は、当然のことながら、最高で至福の時間でした。GWには田植機さなえに乗り、山の幸をたっぷりと食し、友人と飲み明かし、アナログ保存してあった写真アルバムをデジタル化し、遠くの友人達に会いに行き、浅草三社祭りを見学し、ずっと気にかかっていた友人に17年ぶりに会い、人にあげる墨絵の仕上げをし、リバーサイドをジョギングし、友人と温泉につかり酒を飲み、そして、毎日の母との語らい・・・

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朝晩、愛犬タマと散歩しながら、自問自答、発憤興起、死中求活、云々な今日この頃です。

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燕の話

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珍しい春の嵐が過ぎ、いつもの暑さが戻ってきたイスラエル。

過ぎ越しの祭りペサハを終え、ショアー追悼日、戦死者追悼日、独立記念日が続き、愛国とユダヤ民族の意識が最高潮に高まる時期がやってきました。そこいらじゅうでダビデの国旗がはためき、街ではBBQの相談が行われていることでしょう。

さて、めでたく4月から無職となった私は身も心も自由となり、そして、日本への帰省を間近に控えて、日がな一日をあれやこれやと妄想しながら過ごす引きこもりと化してております。そして、自由の身になると必ず手に取る言葉があります。

「自由は地獄の門をくぐる。不安、懊悩、悲痛、慟哭に立たされているものである。すべて自らの責任に於いてなされるものだからである。人が真実大いなる限定を、大いなる不自由を見出すのも、自由の中に於いてである。自由は必ず地獄の中をさまよい、遂に天国へ到り得ぬ悲しい魂に充たされている。」

坂口安吾のエッセイ「私の小説」(昭和22年)の一節です。この言葉が非常に身に沁みるのです。自由とはなんぞや、って奥深いです。これはちょっとネガティブな極論かもしれませんね。マゾか!って感じですね。でも、これが私にとっての自由に間違いはないのです。

とにかく、自由に痛みはつきものです。時は必ず満ると信じて、今はモヤモヤとして過ごし、自分ご褒美として、タマとの蜜月を満喫すると決心したり、しなかったりの日々・・

先日、季節外れの大雨の際に、燕の夫婦がせっせと車庫に作っていた巣が、壁の雨水によって崩れ落ちてしまいました。やっと二羽が羽を休める大きさになり、夜にこっそり二羽の姿を見ることが心の平安だったですが、非常に残念でなりません。天気も回復し、壁も乾いた今日、しばらく姿を見せなかった燕が崩れた巣の様子を見にきていました。あきらめて他の場所に作るかもしれませんね。本当に残念です・・・

こんな、とりとめのない雑記で気分を紛らわし、4月25日の日本行が待ち遠しい、今日この頃です。

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ヴィーガン快進撃

vflogoSm  ←これぞ、イスラエルのヴィーガンマーク

アーモンドの花が咲き、真っ赤なアネモネの絨毯ができ、緑が目に美しい冬も終わりに近づいたイスラエルです。

レゲヴがヴィーガン宣言をしたのが、2013年夏。それに呼応するようにイスラエルのヴィーガン・ビジネスは快進撃を見せています。

イスラエルでのヴィーガンブームの始まりは、欧米同様に、PETAの動物に対する権利活動の活発化、イスラエルメディアでの紹介、書籍、有名人、政治家による広報活動の影響に加え、有機栽培食品、グルテンフリー、アンチミルク等の健康食ブームが定着していたことがあげられます。

また、ユダヤ教の食の戒律であるコシェルが、乳製品を一切使わないヴィーガン食を受け入れやすくしていることも考えられます。これは、肉と乳製品を一緒に食さないというもので、すでにイスラエルではコシェル用としてミルクを使用していないチョコレートや、ケーキ、チーズなどが存在していました。

もともと、乳製品OKのベジタリアンであったレゲヴは、チョコレートもチーズも大好物でしたが、ヴィーガン宣言をしてからは、もちろん、高級チョコもチーズも食せません。でも、やっぱり、サンドイッチにもパスタにもチーズは必要だし、チョコレートも美味しいケーキも食べたいのです。2013年は、まだ選ぶ余地もないほどのヴィーガン・チーズしかなく、それも激マズでしたが、今ではスーパーで一角のすべてにヴィーガンコーナーができるほど種類が豊富になりました。そして、十分に美味しくなってきています。

ベジタリアン御用達である、イスラエルが誇る冷凍食品Tivallは、すべての商品に卵を使用していましたが、このヴィーガンブームによって「Vegan Friendly」の商品を次々と販売しています。そして、美味い!

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かつては申し訳なさそうにスーパーで埃をかぶっていた豆乳食品のAlproは、ドヤ顔でコーナーを仕切るようになりました。

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ドミノピザも世界に先駆け、ヴィーガンピザを販売し、カフェもヴィーガンサンドを提供し、ヴィーガンレストランもこの一年で非常に増えました。今では、ヴィーガンメニューがないレストランのほうが、おかしいのでは?と思えるほどのヴィーガン勢力です。

Vega ←これがベスト(ココナッツミルク)。

現在イスラエルでは人口の6%がベジタリアンと言われており、ヴィーガン・ビジネスの中心はテルアビブです。これがただのブームで終了するのかどうかはわかりませんが、一度ヴィーガンやベジタリアンになって、それを数年続けることができると、よほどのことがない限り(健康上の問題など)、肉食に戻ることはないと思います。

私個人としては、過激な活動や、肉を食することを悪とするような過激な論争は、如何なものかと考えますが、動物に痛みを与えること(動物実験)や、無駄な食用、快楽のためだけに殺害(狩り・食用飼育)することが本当に必要なのかは、人間が考え続けなければならない課題だと思っています。

ちなみに、動物実験をしていない商品は、このマークのいずれかが表示されています。

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そんな、レげヴのようには完全ヴィーガンにはなり切れない、臨機応変ベジタリンな今日この頃です。

日本の「(命を)いただきます」の精神を大切にしたいですね。

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